かく、かういふ風に、頭と尻尾に、二つひつかゝる。さうして、殆どの場合、其語のつかなければならぬ完全な文法的の位置には居ないのである。ずつと、文章の先の方へ出て行つて了ふので、其為に、どの語に係つてゐるか訣らぬ程、それだけ又効果が広く及ぶ訣でもある。文法式の文章の論理からは、外れよう/\として居るのだ。出来るだけ自分達の職分を伸ばしてゆかうとして、幾様にも感じをつけてゆくのである。決して、簡単に、この語はこゝに係るなどとは言へない。係れるだけ、拡がつて係つて居るからだ。つまり、出来るだけ副詞の職分を拡張し延長しようと努めて来たことが察せられる。
後期王朝時代が過ぎて武家の時代になり、寺家の生活が入り、農民の生活が入つて来ると、言語の中心は、何時までも内裏語だけではぢつと[#「ぢつと」に傍点]してゐない。それは文学語として固定して了ひ、一般の言葉は、又新しい中心を求めて、長い煩悶を続けてゆくのである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「昭和十四年度国学院大学夏季国語教育講座講演筆記」
「国学院雑誌 第四十六巻第三号」
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