も、正しくうたて[#「うたて」に傍線]と訓まねばならぬところは一ヶ所だと思ふ。其は下巻穴穂[#(ノ)]宮の段に、大長谷[#(ノ)]王が、市辺之忍歯王を誘つて近江へ狩にゆかれた時、忍歯王が翌朝早く、大長谷[#(ノ)]王の仮宮においでになつた事に就いて、其侍臣達が大長谷[#(ノ)]王に御注意申上げる言葉の中に、
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侍[#二]其大長谷王之御所[#一]人等白、宇多弖物云王子故、応[#レ]慎亦宜[#レ]堅[#二]御身[#一](安康記)
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「うたて物云ふ王なれば」といふのは、忍歯王の御性格を申上げた言葉である。平安朝の知識で解けば、「あのお方はうとましくも物を言ふお方だから」といふことになる。つまり、「うたてくも[#「うたてくも」に傍点]物言ふ」と解くのであるが、之でいゝかどうかは問題だ。もう一ヶ所は神代巻、天照大神と素戔嗚尊とのうけひ[#「うけひ」に傍線]の所で、すさのを[#「すさのを」に傍点]が勝さびに暴れなさる条「猶あしきこと止まずてうたてあり」とある。此うたてあり[#「うたてあり」に傍線]の訓は実に巧妙であるが、どうも疑はしい訓み方だ。素戔嗚尊
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