々は、其後を少し許りづゝ修正してゆけば、奈良朝の古事記の訓み方に近よつてゆけると思ふ。とにかく、宣長翁の訓み方そのまゝでは、奈良朝の文脈で訓んでゐる事にはならぬのである。
記紀の中に、象嵌の様に、古詞章が入れられてゐるといふ事は、何を意味するか。結論だけを、簡単に出すと、即ち其は非常に重大なる箇所であつて、其を失つたら、神乃至は宮廷の神聖に対して、申訣がたゝぬといふ気持があつたからの事であらう。この暗黙の制約がもしなかつたら、古事記などは、もつと漢文流にゆけた筈であつた。一体、昔の人の書き残した文章が、どうして後世の人たちにそのまゝ訣るかといふことは、考へて見るべき問題である。記紀にしても、江戸時代の学者に研究せられて後、始めて訣つて来たのではない。特に日本紀などは、恐らく、其編纂の直後から講筵が始つてゐる(紀の講筵は平安朝に入つてからだといふ説もあるが、私は、編纂後、間もなく始まつて居ると思ふ)。以来、度々、其時代々々の博士たちが、訣る様な程度に訓んでゐる。かうして、理会を失はぬ歴史として持ち伝へたのであつて、古事記の方では、それがはつきりと文献の上に現はれてゐないといふだけである
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