ふ日本風に訓まなければ訓まれぬ所が入つてゐるから、どうしても、さう訓んで来る事になるのである。之が所謂、紀の日本訓みである。之に導かれて、古事記でも日本訓みが行はれて来る。日本紀の時には、まだ不自然な訓み方であつたものが、記では譬へば、古訓古事記の如きは、非常に巧に訓んで居る。古訓古事記などは、今の我々からは簡単に考へて了ふけれども、よく味はつて見ると、大変な努力と、苦労を重ねて居る事が訣ると思ふ。もどかしく感ずる程、日本風に訓んでゐる。之は勿論、出来るだけ、日本風に訓むのが本道だけれども、それでも最後の障壁がある、といふことだけは、宣長翁も考へてゐなかつた。記の中には、もう一つ前の、古い時代の訓み方が入つてゐることを考へなかつたので、あんな訓み方になつたのである。勿論、平安朝と共通した文章もある訣だが、宣長翁のは、全体が非常に熟達した平安朝の文章の訓みになり過ぎてゐる。平安朝のむーど[#「むーど」に傍点]とてーま[#「てーま」に傍点]の上に立つて、奈良朝の色彩を取込んだ訓み方をせられたのだ、と言つてもいゝ程、平安朝風の表現法があると思ふ。併しあれ程、真面目に熱心に訓まれたのだから、我
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