するのに之を使ひさへしなければ、済むけれども、それでは此一語の説明が何時まで経つてもつかないのである。
五
概して言語には、何より先づ語原研究が盛に行はれるが、中には、見るからに愚かしい説も少くはない。語原説では、どうしてもその態度が一番問題になる。言語は偶然に出来たものが多いから、似た様なものを集めて来て、それらの成立から類推して説明しようとしても、凡そ、これ位、はかないものは無い。結局は、学者その人の人柄・教養・科学性を信頼するより仕方がない。語原だけは、幾ら文献式に、科学式に緻密にやつても出来ぬことが多いのである。
「消なば消ぬかに」の様に、たつた一つだけ、こんな形が残つて居る。之から考へられることは、「消えさうな」といふことをけぬかに[#「けぬかに」に傍線]と言ふのは、もとは消なば[#「消なば」に傍線]といふ条件の句がついてゐなければ訣らなかつた、其が永年の間に慣れて、条件を省いても訣る様になつたものだ、といふことである。かに[#「かに」に傍線]は又かね[#「かね」に傍線]とも言つて平安朝まで残つてゐるが、其にも拘はらず、世間の生きた言葉としては薄れて来て、べ
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