のゝ不明は別として、大体、其がそのまゝで、今の我々に訣るといふのは、をかしい事で、神代巻に現れる種々な超現実的な不思議よりは、この方がよつぽど不思議でなければならぬ。つまりは、其は、後々の人に訣らぬ様では困る故に、ある点までは改作して、訣らせよう/\として来たからの事に他ならぬ。延喜式などでも、延喜以前の貞観・弘仁頃の記録もあつたらうが、その間には改作が行はれてゐるに違ひない。若しさうでなかつたならば、今の我々に到底、訣る筈がない。訣らせようとする為の改作は、必要に応じて始中終行はれて来たが、其がある時代に止つて了つて、改作しなくなつた。其後は純然たるくらしつく[#「くらしつく」に傍点]になつて、以来、訣らないまゝに伝はつて来てゐるといふ訣であらう。かうした改作は、物に書くことに依つて行はれるばかりではなく、口頭伝承の間にも、だん/\と改めて行つてゐる様だ。だが本来、神に関係ありとせられる箇所だけは、勝手に変改しては神罰が恐ろしいから、之を改めない為に、そこだけが時を経るに従つて、無暗に訣らなくなつて了ふ。当初から之だけは、訣る様にといふ目的を持たなかつたのだ。かりに原《モト》の古詞章
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