まれてゐるといふ事を感じて来る。はつきりどの言葉を省いたとは訣らなくとも、さういふ傾向の、さういふ内容の言葉を省いてゐるといふことだけは訣る。その省いた形が、三日月の歌の様になつて表はれる訣だ。さう定《キマ》ると同時に、其言葉には非常な負担を持たせるといふ事になる。もとはひどく[#「ひどく」に傍線]、とてもひどく[#「とてもひどく」に傍線]、程の意味が、省かれた語の内容まで負担して来るので、ひどく情けない、ひどくうとましいなどの意味だと思はれて来るのだ。語原論といふものは、語原を尋ねてゆくとき、その又先に、語原があることを忘れてゐる。で、今の知識で、時に合理的に適合するといふだけで、言葉そのものと、其を解釈しようとする頭との、時代が違つてゐるのだから、不自然が起るのは寧当然である。上には上の語原がある。だからこゝの例も、これでうたて[#「うたて」に傍線]の説明が出来てゐるとは言へない。
うたゝ[#「うたゝ」に傍線]の次に来る言葉が、情けないの意味でないうたゝ[#「うたゝ」に傍線]がある。源氏物語の例に、(源氏だとか、枕草子だとかは、成立年代もはつきりしてゐるが、他のもの、例へば宇津保物語にしても、狭衣物語にしても、果して其時代に出来てゐるかどうかは問題になる点が多いので、言語の歴史を正確に見てゆかうといふ資料としては不安である。)
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「いとうたてゆゝしき御ことなり。などてか、さまではおはする……」(源氏、柏木)
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普通は、「非常に情けなく嫌な事です。何故そんなにまでして……」といふ風に解釈して居る。此文章を見ると、うたて[#「うたて」に傍線]がゆゝし[#「ゆゝし」に傍線]を形容してゐる様に見えるが、或はうたて[#「うたて」に傍線]もゆゝし[#「ゆゝし」に傍線]も同格なのかも知れぬ。つまり「うたてくもあり、ゆゝしくもあり」と見るので、さう取るのが通例になつてゐる。併しうたて[#「うたて」に傍線]は大抵の場合、極端なる副詞である。だから、こゝもゆゝし[#「ゆゝし」に傍線]を限定して、「ひどくゆゝしい」といふ事でなければならぬ。どこかでうたゝ[#「うたゝ」に傍線]の古い意味を利かして使つてゐるので、時々、古い意味が反省されては、使はれて来る。うたて[#「うたて」に傍線]はひどい[#「ひどい」に傍線]ことだけれども、大抵の場合「
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