い。信仰としては、全然別問題であるが、学問としては、筧博士の「神ながらの道」に説かれたところを以て、日本の古代精神であると考へては、誤りであると思ふ。世間では、あまりに、今日に都合よいやうに、神道を変へ過ぎてゐる。
一一 神道と仏法と
神道と言ふ語自身、神道から出たものではなく、孝徳天皇紀の「仏法を重んじて、神道を軽んず……」とあるところから出てゐる。尤、こゝの神道の語は、今日の意味とは違つて、在来の土地の神の信仰を斥してゐる。仏教の所謂「法」は、絶対の哲理であり、「道」は異端の教へである。日本に仏教が這入つて後、仏教を以て本体と考へ、日本在来の神の道を異端、又は、天部《テンブ》の道或は、仏教の一分派のやうに感じた。
陰陽道・仏教が栄えるやうになつて、神道は、仏教から離れて来た。而も尚、仏教家が、仏教を説く方便として、何処の神は、何仏の一分派であるとか、仏法を擁護する為に、此土地にゐた精霊であるとか、言うてゐる。此考へを示してゐるのが、安居院《アグヰ》神道集である。
神道の語は、実は神道にとつて、不詮索な語であつた。命名当時に溯つて見れば、迷惑を感ずるものである。神ながら
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