春に、一度すればよい訣であるのに、気がすまないので、田植ゑにやり、更に二百十日・二百二十日前後にやつてゐる。其頃になると、神嘗祭りに近づいて来る。
天皇が、初春の祝詞を下される時には、必復活の形をとつて、高御座にのぼり給うた。実際は、お生れになつた形を、とらなければならなかつたのである。
昔の考へ方は、堂々めぐりをしてゐて、一つ事をするのには、其に関聯した、いろんな事をせねばならなかつた。天皇初春の復活に際しても、皇子御降誕の時の形式をとつて、大湯坐《オホユヱ》・若湯坐《ワカユヱ》・飯嚼《イヒガミ》・乳母《チオモ》がお附きする。この大湯坐は、主として、皇子に産湯をつかはせる役目をするもの、若湯坐も同様である。飯嚼は、食物を嚼んで、口うつしに呉れる者、乳母は、乳をのませる者である。この形を繰り返してせなければ、完全な式ではない。それを後世からは、この形式を、或天皇がお生れになつた時の事を伝へてゐるのだ、と考へてゐるが、これは或天皇に限つた事ではなく、常に行はれてゐる事であつた。初春ばかりでなく、祭りの時は、何時でもこの形式を執つた。
更に不思議なことがある。天皇が高所に登つて、祝詞を下す
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