三位頼政・佐藤義清(西行)及び、後鳥羽院の時の藤原能任等の人々が、其である。
召人として召された、武官の相手になるのは、宮中の女房である。其も、時代が下ると、位の低い女房に変つて行つたが、元は位の高い、采女の中から出た。采女と称せられる、女房の範囲は広かつたが、平安朝になつて、此中から、上流の女房といふ階級が出て、采女の地位は、低いものになつて了うた。御歌会に、女房と武官とが対立の位置に立ち、此が発達して、宮中の歌合せとなつた。
宮中の正式な歌合せは、此一つの原因ばかりから出来たのではないが、此形式を取り込んで、厳粛なものになつて来たのである。
采女と地下の武士とが、何故に歌合せに出るやうになつたか。其は、采女は平安朝になると、前述のやうに、低い位のものとなつたが、其前には、郡領――地方の郡の長官――の女であつた。其が召されて京に上り、任期を終へて、稀には京にゐつく者もあつたが、帰国するのが例になつてゐた。帰国した者は、宮廷の諸儀式を、自分の家に伝へ、或は、其家の勢力範囲へ伝播した。
此采女に対立して、やはり郡領の息子が、京に上つてゐる。此は、近代まで続いてゐた、大番役のやうなものであ
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