してゐたのである。宮廷の神道が盛んになつて、出雲国造等の、言はゞ小さな神ながらの道と言ふべきものが、禁ぜられたのである。国造等の行うた、小さな神ながらの道も、神主たちにはあつても、民間にはなかつたのである。
主上が神祭りの時に、神として行為せられるのが、惟神の道であつた。処が主上は、殆一年中、祭りをしてゐられるので、神と人との区別がつかなくなつた。神道家は、現神《アキツミカミ》を言語の上の譬喩だ、と思うてゐるが、古代人は、主上を、肉体をもつた神|即《すなはち》現神と信じてゐたのだ。
惟神の道とは、今述べて来たやうに、主上の神としての道、即主上の宮廷に於ける生活其ものが、惟神の道であつた。今では、神道を道徳化してゐるが、何事でも、道徳的にのみ、物を見ると言ふ事は、いけない事である。道徳以上の情熱がなくては、神社は、記念碑以外の何物でもなくなつて了ふ。今日考へられてゐる神道は、もつと道徳以外に出て、生活其物に、這入つて来なければならない。宮廷の生活だと言うても、道徳的なことばかりでなく、いろ/\な生活があつたのである。
神道の長い歴史の上から見ると、既に澆季の世のものである万葉集に、人麻呂は大宮人・労働者の区別なしに、その行為してゐることを「神ながらならし」と歌うてゐる。主上の御行動は、すべて惟神と感じ、毫も、道徳的には見てゐないといふ事は、我々も、惟神について、もう一度、考へ直して見ねばならぬ事実である。日本の神道は、新しく研究する余地の十分あるもので、国学の先輩によつて、研究し尽されたものではない。又、哲学的・倫理学的に見ることが、今直に、正しい見方だ、とする事は出来ないのである。
四 古代詞章に於ける伝承の変化
語原解剖から、物の本質を定める事は、危険の伴ふものである。そして、或一方面から、明りがさして来たやうに思はれる。今までは、祝詞・古事記等の文章は、其自身完全なものであつて、解釈出来ないのは、我々の方が未熟なのだ。鈴木重胤・本居宣長に訣らなかつた所は、古く解釈する鍵が、既に失はれてゐて、如何とも出来ない。時代の故だと考へてゐた。
併し此は、速断から来る誤りに陥つてゐる。祝詞・古事記等を比較すれば、訣ることであるが、文中既に、矛盾が沢山ある。譬へば、天御蔭《アメノミカゲ》と言ふ語は、祝詞だけでも、四種の用例がある。大和の如き、訣りきつたやうな語も
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