の大和入りより前に、既に降つてゐて、天孫は御一人である筈なのに、神武天皇の大和入りの時に、ひよつくり出て来て、弓矢を証拠に、天から降つたことを主張してゐる。
此話を正しく解釈出来ないで、政治的の意味があるやうに解いてゐるが、実はにぎはやひ[#「にぎはやひ」に傍線]の命は、大和の魂で、神にまで昇つて来たのである。この命を擁立してゐたのがながすねひこ[#「ながすねひこ」に傍線]であつた。にぎはやひ[#「にぎはやひ」に傍線]の命が離れると、長髄彦は、直ぐに亡びて了うた。大和の国の君主のもつべき魂を、失うたからである。其魂を祀るのが、物部氏であつた。
此処で、日本神道の組織が変つて来て、神と神主との間に、血族関係を認める様になつた事を述べよう。
出雲の国造家では、もと、神と神主との間に、血族関係を認めなかつた。おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の命の帰順後、天日隅宮に隠れて、あめのほひ[#「あめのほひ」に傍線]の命をして、祭りの事を代り司らしめた。後、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の命を祭ることになつて、神を祭る神主は、神の子であると言ふやうに、信仰が変化して、神と神主の家との血族関係が認められ、神主は神の子だ、といふ統一原理が出て来た。此点について、今までの研究は、非常に偏見に支配されてゐた。古代の神道を正しく見極め、新しい神道の道を進む為には、偏見があつてはならない。
以上のことから、にぎはやひ[#「にぎはやひ」に傍線]の命と、其を祭る物部氏との間に、血族関係があるものと信ぜられて来た。由来物部氏は、魂を扱ふ団体で、主に戦争に当つて、魂を抑へる役をしてゐた。此点でも、物部氏をもつて、武器を扱ふ団体だ、としてゐた従来の考へ方は、改められねばならない。即、物部氏は、天皇霊の外に、大和国の魂、其他の国々の魂を扱ふ大きな家であつた。
天皇即位の時には、物部氏が魂を著け奉るだけでなく、新しく服従した種族の代表者も、出て来て其を行うた。奈良朝前までは、群臣中から、大臣・大連の人々が出て、天皇の前で、其詞を奏した。後、朝賀式が重視せられるに至つて、寿詞を奏するやうになつたのである。
今から考へると、寿詞の奏上は、新しく服従した国の外は、御一代に一度すればよい訣だが、不安に感じたのであらう、毎年其を繰り返した。新嘗を、毎年繰り返すのと同じ信仰で、魂は毎年、蘇生するものと
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