話である。天孫降臨の時、真床襲衾《マドコオフスマ》を被つて来られたとあるが、大嘗宮の衾も、此形式を執る為のものであると思ふ。今でも、伊勢大神宮に残つてゐるかも知れないが、伊勢の太神楽に、天蓋のあるのは、此意味である。
尊い神聖な魂が、天皇に完全に著くまでは、日光にも、外気にも触れさせてはならない。外気に触れると、神聖味を失ふと考へてゐた。故に真床襲衾で、御身を御包みしたのである。その籠つてゐられる間に、復活せられた。
伊勢にあるのは、太神楽のもつと以前、恐らく三百年も前にあつたもので、近世まで、古い形のまゝ、諸国を廻つてゐる神楽の天蓋の中に、真床襲衾といふものがあつた。
五年目毎に、太神楽が廻つて来て、天蓋で、村の青年を包んで、外気に触れさせず、食物も喰べさせないで、願立てをして、踊りまはる。さうしてゐる間に、其青年は、村の若い衆となる。此は、村の中心勢力として、神事に与る資格を得るのである。実は祭りの時に、神になる資格を持つものが、若い衆である。今の太神楽以前に、諸国を歩いた神楽は、真床襲衾といふ、白い天蓋を持つて廻つた。伊勢の御師《オシ》達にも、そんな神楽をもつて廻つた時代があつた。其図が現存してゐるが、非常に変つたものである。
真床襲衾に包まれて復活せられた事は、天皇の御系統にだけ、其記録がある。其中で物もお上りにならずに、物忌みをなされた。その習慣がなくなつて後、逆ににゝぎ[#「にゝぎ」に傍線]の命が、真床襲衾に包まつて、此国に降り、此地で復活なされたのだと考へて来た。我々は、宮廷で、真床襲衾を度々お使ひになるので、天上から持つて降られたものと思ふが、其は、逆に考へ直す方が、正しいのである。
古代には、死の明確な意識のない時代があつた。平安朝になつても、生きてゐるのか、死んでゐるのか、はつきり訣らなかつた。万葉集にある殯《アラキ》[#(ノ)]宮《ミヤ》又は、もがりのみや[#「もがりのみや」に傍線]に、天皇・皇族を納められたことが知れる。殯宮奉安の期間を、一年と見たのは、支那の喪の制度と、合致して考へる様になつてからの事で、以前は、長い間、生死が訣らなかつたのである。死なぬものならば生きかへり、死んだのならば、他の身体に、魂が宿ると考へて、もと天皇霊の著いてゐた聖躬と、新しく魂が著く為の身体と、一つ衾で覆うておいて、盛んに鎮魂術をする。今でも、風俗歌をするのは
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