へたものであらう。此常夜は、ある国土の名とは考へられて居なかつたやうに見えるが「とこよ」の第一義だけは、釈《とけ》る様である。併し尚考へて見ると、単純に「常夜の国に行つてゐる」やうなあり様と言ふ感じを表す語であつたかも知れない。さう思へば、古事記の「爾《カレ》高天原皆暗く、葦原中つ国|悉《スデ》に闇し。此に因りて常夜往く[#「常夜往く」に傍線]……」とあるとこよゆく[#「とこよゆく」に傍線]も甚《はなはだ》固定した物言ひで、或は古事記筆録当時既に、一種の死語として神聖感を持たれた為に、語部の物語りどほりに書いたものであらう。第一義としての常闇の国土なる「とこよ」が、祖先の考へにあつた事は想像してよい。
一一 死の島
宝船の話から導いた琉球宗教の浄土にらいかない[#「にらいかない」に傍線]が元、死の島であつたことを説いた。私どもの国土に移り住んだ祖先のにらいかない[#「にらいかない」に傍線]は、実はとこよのくに[#「とこよのくに」に傍線]と言ふ語で表されてゐたのであつた。村々の死人は元より、あらゆる穢れの流し放たれる海上の島の名であつたのである。其恐しい島が、富みと齢乃至は恋の浄土としての常世とはなつた過程は、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]の思想の展開が説明してくれて居る。海岸に村づくりした祖先の亡き数に入つた人々の霊は、皆生きて遥かな海中の島に唯稀にのみあるものとせられてゐたのである。さうして、児孫の村をおとづれて、幸福の予言を与へて去る。その来るや常世浪に乗りて寄り、去る時も亦、常世浪に揺られて帰るのである。
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時に、天照大神、倭姫[#(ノ)]命に誨《ヲシ》へて曰く、是の神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰《シキヨ》する国なり。傍国《カタクニ》の美国《ウマシクニ》なり。是国に居らむと思ふ。(日本紀)
子らに恋ひ、朝戸を開き我が居れば、常世の浜の浪の音聞ゆ(丹後風土記逸文)
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此等は、如何にも極楽東門に向ふと言ふ様な感じであるが、更に語の陰にある古い印象を窺ふと、神の徂徠の船路を思はせるものがある。すくなひこなの神[#「すくなひこなの神」に傍線]は此浪に揺られて、蘿摩《カヾミ》の実の皮の船に乗つて、常世の国から流れ寄つた小人《ヒキウド》の神であつた。さうして去る時も粟島の粟|稈《ガラ》に上つて稈に弾かれて常世に渡つたと言ふ。最古いものと言はれる宝船の画に「かゞみのふね」と書いてあるのは、此船がすくなひこなの命[#「すくなひこなの命」に傍線]の乗り物なることを示したもので、学者の入れ智恵の疑はれる点である。唯すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]の古ごとを忘れて後も、蘿摩《カヾミ》の皮に嫌ふべきものを載せて海に棄てた風習があつたものとすれば、蚤の船の類のものとして其古さが加はる訣なのである。
とこよ[#「とこよ」に傍線]の国と根の国とが、一つと見え、又二つとも思はれる様になつたのは、とこよ[#「とこよ」に傍線]が理想化せられて、死の島[#「死の島」に傍線]と言ふ側は、根の国[#「根の国」に傍線]で表される事になつて了つた後の事である。而も、とこよ[#「とこよ」に傍線]は海上の島、或は国の名となり、根の国[#「根の国」に傍線]は海底の国ときまつたのである。
まれびと[#「まれびと」に傍線]の来る島として、老いず死なぬ霊の国として、とこよ[#「とこよ」に傍線]は常夜ではなくなつて来た。恰《あたか》もよし、同音異義の「よ」に富み(穀物)又は齢の意義があつた。聯想が次第に此方に移つて、事実と語と相俟つて、遂に動かされぬ富みと齢の浄土となつた事であつた。
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
1995(平成7)年3月10日初版発行
初出:「改造 第七巻第四号」
1925(大正14)年4月
※底本の題名の下に書かれて居る「大正十四年四月「改造」第七巻第四号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。
※拗音・促音が小書きになっているところは底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年3月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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