《ミソギ》の為の物の外、かうした意味の物が庶民にも頒たれる様になり、遂には呪符の様な観念が結ばれて来たらしい。神社などの中にも「夢違ひ」の呪符の意味で、除夜・節分の参詣者に与へる向きが出来たのである。併しかうした風習の民間に流布したのは、陰陽師の配下の唱門師等の口過ぎに利用した結果が多いのである。
けれども、此が庶民の間にとり容れられたには訣がある。前々からあつた似た種に、新来の様式がすつぽり[#「すつぽり」に傍点]とあてはまつたからなのだ。宝船に書き添へた意味不明の廻文歌「ながき夜のとおの眠《ネブ》りの皆目覚め……」は一種の呪文である。不徹底な処に象徴的な効果があるのだが、釈《とけ》る部分の上の句は、人間妄執の長夜の眠りを言ふ様ではあるが、実は熟睡を戒しめた歌らしい。海岸・野山の散居に、深寝入りを忌んだ昔の生活が、今も島人・山民などの間に残つて居る。夜の挨拶には「お安み」の代りに「お寝敏《イザト》く」の類の語《ことば》を言ひ交す地方が、可なりある。此考へが合理的になると、百姓の夜なべ為事に居眠りを戒しめるものとして「ねむりを流す」風習が、随分行はれて居る。柳田国男先生の考へでは、奥州の佞武多《ネブタ》祭りも、夜業の敵なる睡魔を祓へる式だとせられて居る。熟睡を戒しめる必要のなくなつた為に、さうした解釈をして、大昔の祖先からの戒しめを、無意味に守つて居るのである。此「眠り流し」の風も元は、船に積む形を採つた事と思はれる。

     四 蚤の浄土

而も、まだ海河に祓へ捐つべき物が、臥し処には居る。其は牀虫の類で、蚤を以て代表させて居る。おなじ奥州仙台附近には「蚤の船」と言ふ草がある。節分の夜(?)に、其葉を寝牀の下に敷いて寝れば、蚤は其葉に乗つて去ると伝へてゐるよしを谷川磐雄氏から聞いた。さて、其牀虫は「蚤の船」に便乗して、どこへ流れて行くのか。縁もゆかりもなさ相な琉球本島では、初夏になると、蚤は麦稈の船に乗つて、麦稈の竿をさして、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]からやつて来ると言ひ「にらいかない[#「にらいかない」に傍線]へ去つて了へ」と言うて蚤を払ふ。にらいかない[#「にらいかない」に傍線]の説明が私どもの祖先の考へて居たとこよの国[#「とこよの国」に傍線]と近よつて来るのである。
にらいかない[#「にらいかない」に傍線]と言ふのは、海の彼方の理想の国土で、神の国と考へられてゐる処である。儀来河内《ギライカナイ》、じらいかない[#「じらいかない」に傍線]など、色々に発音する。神はこゝから時に海を渡つて、人間の村に来るものと信じて居る。人にして、死んでにらいかない[#「にらいかない」に傍線]に行つて、神となつたものゝ例として遺老説伝には記してゐる。南方、先島《サキジマ》列島に行くと、此浄土の名をまやの国[#「まやの国」に傍線]といふ。先島列島の中、殊に南の島々の寄百姓から出来た八重山の石垣島は、此場合挙げるのに便宜が多い。
宮良《メイラ》といふ村の海岩洞窟から通ふ地底の世界にいる[#「にいる」に傍線](又、にいる底《スク》)と言ふのがあるのは、にらい[#「にらい」に傍線]と同じ語である。此洞からにいるびと[#「にいるびと」に傍線](にらい人[#「にらい人」に傍線])又はあかまた・くろまた[#「あかまた・くろまた」に傍線]と言ふ二体の鬼の様な巨人が出て、酉年毎に成年式を行はせることになつてゐる。青年たちは神と言ふ信念から、其命ずる儘に苦行をする。而も村人の群集する前に現れて、自身踊つて見せる。暴風などもにいる[#「にいる」に傍線]から吹くと言つてゐる。さう言へば、本島でも風凪ぎを祈つて「にらいかない[#「にらいかない」に傍線]へ去れ」と言ふことを伊波普猷氏が話された。にらいかない[#「にらいかない」に傍線]は本島では浄土化されてゐるが、先島では神の国ながら、畏怖の念を多く交へてゐる。全体を通じて、幸福を持ち来す神の国でもあるが、禍ひの本地とも考へて居るのである。唯先島で更に理想化して居るのは、にいる[#「にいる」に傍線]を信じる村と、以前は違つた島々に違うた事情で住んでゐた村々の間で言ふ、まやの国[#「まやの国」に傍線]である。春の初めにまやの神[#「まやの神」に傍線]・ともまやの神[#「ともまやの神」に傍線]の二神、楽土から船で渡つて来て、蒲葵《クバ》笠に顔を隠し、簑を着、杖をついて、家々を訪れて、今年の農作関係の事、其他家人の心をひき立てる様な詞を陳べて廻る。つまり、祝言を唱へるのである。にいるびと[#「にいるびと」に傍線]もやはり成年式のない年にも来て、まやの神[#「まやの神」に傍線]と同様に、家々に祝言を与へて歩くことをする。

     五 祖先の来る夜

かうした神々の来ぬ村では、家の神なる祖先の霊が、盂蘭
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング