たり[#「しきたり」に傍線]として、後代に、道徳・芸術、或は広意義の生活を規定したと見て、よいと思ふ。
日本の古代生活は、此まであまりに放漫な研究態度でとり扱はれて来た。江戸時代に、あれまで力強く働いた国学の伝統は、明治に入つて飛躍力を失うた。為に、外側からの研究のみ盛んに行はれた。古代人の内部の生活力を身に動悸うたせて、再現に努めようとする人はなくなつた。数種の文献に遺つた単語は、世界の古国や、辺陬の民族の語彙と、無機的に比較研究せられた。此は伝統的事業を固定させてゐた私どものしくじりであつた。
私どもはまづ、古代文献から出発するであらう。さうして其註釈としては、なるべく後代までながらへてゐた、或は今も纔かに遺つてゐる「生活の古典」を利用してゆきたい。時としては、私どもと血族関係があり、或は長い隣人生活を続けて来たと見える民族のしきたり[#「しきたり」に傍線]、又は現実生活と比べて、意義を知らうと思ふ。稀には「等しい境遇が、等しい生活及び伝承を生む」と言ふ信ずべき仮説の下《モト》に、かけ離れた国々の人の生活・しきたり[#「しきたり」に傍線]を孕んだ心持ちから、暗示を受けようと考へてゐる。
三月の雛祭り・端午の節供・七夕・盂蘭盆・八朔……などを中心に、私どものやすらひ[#「やすらひ」に傍線]を感じるしきたり[#「しきたり」に傍線]が毎年くり返へされる。江戸の学者が、一も二もなく外来風習ときめたものゝ中にも、多くは、固有の種がまじつてゐる。私は、今門松の事を多く言うた縁から、元旦大晦日に亘るしきたり[#「しきたり」に傍線]の最初の俤を考へて、古代研究の発足地をつくる。

     二 ふる年の夢・新年の夢

海のあなたの寂《シヅ》かな国の消息を常に聞き得た祖先の生活から、私の古代研究の話は、語りはじめるであらう。
其は、暦の語原たる「日|数《ヨ》み」の術を弁へた人によつて、月日の運り・気節の替り目が考へられ、生産のすべての方針が立てられた昔から説き起す。暦法が行はれても、やはり前々の印象から、新暦に対立して、日よみ[#「日よみ」に傍線]の術が行はれて居り、昔、日よみ[#「日よみ」に傍線]を以て民に臨んだ人の末が、国々に君となり、旧来の伝承は、其部下の一つの職業団体の為事として、受け継がれてゐるやうになつてゐた。
大倭の国家が意識せられた頃には、もう此状態に進んでゐた。
前へ 次へ
全18ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング