は絶対・恒常或は不変の意である。「よ」の意義は、幾度かの変化を経て、悉く其過程を含んで来た為に「とこよ」の内容が、随つて極めて複雑なものとなつたのである。「よ」と言ふ語の古い意義は、米或は穀物を斥《サ》したものである。後には、米の稔りを表す様になつた。「とし」と言ふ語が、米穀物の義から出て、年[#「年」に傍線]を表すことになつたと見る方が正しいと同じく、此と同義語の「よ」が、齢《ヨ》・世《ヨ》など言ふ義を分化したものと見られる。更に万葉以後或は「性欲」「性関係」と言ふ義を持つたものがある。此は別系統の語かも知れぬが、常世の恋愛・性欲方面の浄土なる考へに脈絡がある様だからあげておく。
とこよ[#「とこよ」に傍線]を齢の長い義に用ゐた例は沢山にある。「とこよ」と言ふ語は、古くは長寿者を直に言ふ事になつてゐる。だが、長寿《トコヨ》の国の義から出たと説くのは逆である。「とこよ」の義には、まだ前の形があるのである。「常世の国に住みけらし」と万葉人が老いの見えぬ女の美しさを讃へたのは、長寿の国の考への外に「恋愛の国に居たから」と言ふ考へ方も含まれてゐる様である。
とこよ[#「とこよ」に傍線]の第一義は、遥かに後までも忘れられずにゐた。奈良盛時の大伴坂上|郎女《イラツメ》が、別れを惜しむ娘を諭して「常夜にもわが行かなくに」と言うたのは、海のあなたを意味したものとも取れるが、多少さうした匂ひをも兼ねて、其原義をはつきり見せたのである。宣長も、冥土・黄泉などの意にとつて、常闇《トコヤミ》の国の義としてゐる。常闇は時間について言ふ絶対観でなく、物処について言ふもので、絶対の暗黒と言ふ事である。此意味に古くから口馴れた成語と思はれるものに「常夜《トコヨ》行《ユ》く」と言ふのがある。かうした「ゆく」は継続の用語例に入るもので、絶対の闇の日夜が続く義である。
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皇后(神功)南の方、紀伊の国に詣りまして、太子に日高に会ふ。……更に小竹《シヌ》[#(ノ)]宮に遷る。是時に適《アタ》りて、昼暗きこと夜の如し。已に多くの日を経たり。時人常夜行く[#「常夜行く」に傍線]と言ふ。
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と日本紀にあるのは、此暗さを表すのに、語部《カタリベ》の口にくり返されたと思はれる、成語を思ひ合せて「此が昔語りの天窟戸の条に言ふ天照大神隠れて常夜行くと言うたあり様なのだ」と考
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