は、不死常成の楽土であつた。其上帰化人の支那から持ち越した通俗道教では、仙境を恋愛の理想国とするものが多かつた。我国のとこよ[#「とこよ」に傍線]にも恋愛の結びついて居るのは、浦島の外に、ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]の神話がある。此は疑ひなく、海中にある国として居る。唯浦島と変つて居る点は、時間観念が彼此両土に相違のない事である。此海中の地は、わたつみの国[#「わたつみの国」に傍線]と謂はれてゐる。此神話にも、富みと恋との常世の要素が十分にはひつて来てゐる。富みの豊かな側では、古代人の憧れがほのめいてゐる。海驢《ミチ》の皮畳を重ね敷いた宮殿に居て、歓楽の限りを味ひながら、大き吐息《ナゲキ》一つしたと言ふのは、万葉歌人に言はせれば、浦島同様「鈍《オゾ》や。此君」と羨み嗤ひをするであらう。ほをりの命[#「ほをりの命」に傍線]の還りしなに、わたつみ[#「わたつみ」に傍線]の神の釣《ツ》り鈎《バリ》を手渡すとて訓《をし》へた呪言は「此|鈎《ハリ》や、呆鈎《オボチ》・噪鈎《スヽチ》・貧鈎《マヂチ》・迂鈎《ウルチ》」と言ふのであつた。此鈎を受けとつた者は、これ/\の不幸を釣上げろと呪ふのである。其上に水を自在に満干させる如意珠を贈つて居るのは、農村としての経験から出てゐるので、富みの第一の要件を握る事になるのである。貧窮を与へる事の出来る神の居る土地は、とりも直さず、富みについても、如意の国土であつた訣である。
とこよ[#「とこよ」に傍線]と言ふ語が常に好ましい内容を持つてゐるに拘らず、唯一つ違つた例は皇極天皇紀にある。秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》が世人から謳はれた「神とも神と聞え来る常世の神」を懲罰した其事件の本体なる常世神は、長さ四寸程の緑色で、黒い斑点のあつた虫だつたとある。橘の樹や蔓椒《ホソキ》に寄生したものを取つて祀つたのである。「新しき富み入り来れり」と呼んで、家々に此常世神を取つて清座に置き、歌ひ舞うたと言ふ。巫覡の託言に「常世神を祭らば、貧人は富みを致し、老人は少《ワカ》きに還らむ」とあつた。かうした邪信と見るべきものだが、根本の考へは、やはり変つて居ない。常世並びに常世から来る神の内容を明らかに見せてゐる。
一〇 とこよ[#「とこよ」に傍線]の意義
とこよと言ふ語は、どう言ふ用語例と歴史とを持つてゐるか。とこ[#「とこ」に傍線]
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