る者は、一つに扱うて居る場合が多い。単に神の住みかと言ふだけではない。悪魔の世界なる内容も持つて居る。神・悪魔・死霊など、其性質に共通した点が尠くない。其著しい点は、皆夜の世界に属する事である。鶏鳴と共に顕明界《ウツシヨ》に交替するからだ。一番鶏に驚いて事遂げなかつたのは、魔や霊に絡んだ民譚だけではない。神々すら屡鶏の時をつくる声の為に、失敗した事を伝へてゐる。尊貴な神にすら、祭りの中心行事は、夜半鶏鳴以前に完へる事になつて居る。わが国の神々の属性にも存外古い種を残してゐるので、太陽神と信じて来た至上神の祭りにすら、暁には神上げをしなければならなかつた。古今集大歌所の部と、神楽歌とに見えた昼目《ヒルメノ》歌を見れば、祭りの暁の気持ちは流れこむ様に、私どもの胸に来る。昔になるほど、神に恐るべき要素が多く見えて、至上の神などは影を消して行く。土地の庶物の精霊及び力に能はぬ激しい動物などを神と観じるのも、進んだ状態で、記録から考へ合せて見ると、其以前の髣髴さへ浮んで来るのである。其が果して、此日本の国土の上であつた事か、或は其以前の祖先が居た土地であつた事かを疑はねばならぬ程の古い時代の印象が、今日の私どもの古代研究の上に、ほのかながら姿を顕して来る事は、さうした生活をした祖先に恥ぢを感じるよりも、堪へられぬ懐しさを覚えるのである。庶物の精霊に「媚び仕へ」をした時代に、私どもの祖先の生活に段々力を持つて来、至上の神に至る段階になつた神と、神の国との話をせなければならなくなつた。
くどいまでに、琉球の例をとつて来たのは、此話をすらりと通す為である。生物・無生物が、些《すこ》しの好意もなしに、人居を廻つて居る事を、絶えず意識に持つた祖先の生活を考へて見ればよい。古風土記には、いづれもさう言ふ活き物としての自然と闘うた暮し方の、後々まで続いてゐた事を示す幾多の話を書きとめてゐる。記録に載つて、私どもに最遠い「古代」を示す祖先たちは、海岸から遠ざかる事を避けた村人であつたと思はれる。山地に村を構へた人々の上は、今語る古代には、まだ現れなかつたのである。記録の年立《トシダテ》に随ふなら、神武以前の物語をする事になる。
八 まれびと[#「まれびと」に傍線]のおとづれ
祖先の使ひ遺した語で、私どもの胸にもまだある感触を失はないのは「まれびと」といふ語である。「まらうど」と
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