で、男はみな台湾とか、或はもつと遠くまで漁業に出かけます。其為に一年の内三四个月しか島には居ない。其間に結婚をしなければならぬ。其時期に女房が逃げ廻る。結婚して最初の、一週間なり二週間なり、女房が逃げて居ると、非常に儚《はかな》い事になる。其で、大正四年まで続いて居つたが、如何にも可愛さうだといふので、村中申し合せて、廃めようといふ事になつて、今日はさういふ事がなくなりましたが、以前には花嫁が逃げてから早く捕へられると其村では殊に貞操観がやかましくて、結婚以前に会つて居つたといふ事になつて、非常に悪く言はれ、爪弾きをせられる。だから、夜行きたくつても、出来るだけ逃げ廻るのです。昼は平気で水を汲みに来たりして居つても、日暮れ方から隠れてしまふ。さうして朝、ほの暗いうちに、水を汲みに出て来たりして、捕つたといふやうな話もあります。今日一番長く隠れたといふ記録になつて居ります女が、まだ生きて居りまして、其女は七十五日隠れて居つた。つまり一番長く隠れて居つた女が島の最高の巫女なのであります。
沖縄の島では、村長も、巡査も、勢力がなく、さういふ巫女が一番勢力がある。其女の言葉で、下々が動いて居る。其は他人の想像では訣らぬ所です。うつかりすると、どんな目に会はされるか訣らぬ。其巫女のいふ通りに皆が動くので、下手な事を言へば殺されるかも知れないのであります。そして殺されゝば、痕跡も止めないやうな事になつてしまふのです。全体さういふ女の夫になるものは、神の呪ひに依つて、早く死ぬといふので、巫女の夫になるといふ事は非常に嫌ひます。其外、寡婦の巫女、其から亭主を持ちながら祭りの時だけ処女の生活をする巫女と、かう三つあるのです。
三
日本内地でも奈良朝、或は其以前にさういふ事があつたと、断言出来る程の証拠があります。さういふ生活が、皆ほんとうに美しい恋物語になつて、後世に伝はつたのです。現在の吾々のみならず、既に万葉時代の人ですら、其がほんとうの事実で、さういふ生活を祖先がして居つたと信じて居たのです。併しそれは、神に仕へる処女の場合だけで、そして其処女は何もほんとうの貞操、純粋の人間としての貞操の観念から起る処女といふのでなく、神に対しての物忌みから出て居ると言ふ事を考へなければならぬ。
其にもう一つは、譬へば……深入りする様でありますが、女の人が元服をする。男の人と同じく元服をする。男の元服は、近世では普通剃刀を入れて、前髪を剃る事でありましたが、女にも元服はありました。嫁入らないでも、鉄漿をつける風もありました。昔は男でも、女でも、元服の式を二段に受ける、即二度する。近世は、子供から青年になる時一度といふ事に大抵なつて居りましたが、昔は村や町の若者仲間に入る場合と、其からもう一つ、もつと小さい時のがあつて、それが古風でした。女にも、其があります。女は普通七八つで、一度裳着といふ式をして、裳を着ける。男では其を袴着といひました。男も女も其までは、着物に隠れた腰の部分は、掩ふものが許されなかつたのです。其が裳をつけると娘の資格を認められたしるし[#「しるし」に傍線]になるのです。男になるのも、下袴を着けて、掩ふべき処を蓋ふ。其から次に、自由に異性に会ふ資格を得る成年式が来るのです。此方が世に謂ふ元服なのです。此第二回目の元服は、結婚と同じやうな……結婚の為にする式と云つても殆どさし支へないのです。
女の人が鉄漿をつけるのは、嫁入りしてからと考へて居りますけれども、此鉄漿といふものは、女になつた事を外部に現すだけのことであつたと思はれます。だから其済まない前は、性の方面は解放せられて居ませんでした。只今でも、地方によつては、結婚以前の者、或は成年式を経ぬ人間と、結婚以後、或は一人前の男になつた後の者とでは、其扱ひ方が別なのです。壱岐の島へ行つて見ますと、未婚の男が亡くなると、幾つになつて居ても、首に頭陀《づだ》袋を下げて、墓へ送る。さうして途々摘んだ花を、其袋に入れてくれる。懐しいあはれな風であります。この二段の元服の式が、後世大抵一回きりになつてしまつた様ですが、今も尚俤だけは残して居る処もあります。平安朝までは、其でも稍《やや》明らかに、二度の元服式があつた様に見えます。精通期以前の女に、男が触れると穢《けが》れであるとして、信仰的に忌まれたものでした。只今でも、漁師などには信じて居る者があるやうです。此は宗教上の罪悪と見做すのが、ほんとうなのです。精通期を越した女には、漠然とながら、男に会ふ事を黙認してゐたのが、近世までの久しい風習でありました。此からは村の娘といふ共有観念を、村の成年式をあげた若い男が持つ様になるのです。
で、愈きまつた亭主を有つ場合は、婚姻の試みを受けました。初夜に処女に会ふのは、神のする神聖な行事でありまし
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