れるのであります。つまり、全然男を知らない処女と、過去に男を持つたけれども、現在は処女の生活をして居るものと、それからもう一つは、ある時期だけ処女の生活を保つて居るものと、此三種類であります。
二
一体、神に仕へる女といふのは、皆「神の嫁」になります。「神の嫁」といふ形で、神に会うて、神のお告げを聴き出すのであります。だから神の妻になる資格がなければならない。即、処女でなければならない。人妻であつてはならない。そこで第三類の処女と言ふものが出来てくる。人妻であつても、ある時期だけ処女の生活をする。さういふ処女の生活が、吾々の祖先の頭には、深く這入つて居たのであります。
譬へば、景行天皇或は雄略天皇などいふお方の時には、かういふ事が多かつた。――これは景行天皇・雄略天皇などいふ方々は、非常に有力な天子であつて、非常に有力な叙事詩がたま/\沢山後世に残つたといふ事に過ぎないのでありますが、――其天子が処女に接せられた話をして見ませう。景行天皇が日本武尊のお母であられます播磨の印南《イナミ》といふ所の印南[#(ノ)]大郎女といふ御方に迫られた時に、姫は逃げ廻つた。逃げ廻つて印南《イナミ》[#(ノ)]島といふ島に逃げ込んだ。「否む」といふ言葉が「隠れる」といふ意味であるのは、其|印南《イナミ》[#(ノ)]島に隠れて居つたからといふ伝説がある位であります。其を犬が其島の方を向いて吠えたので、そこへ迎へに行つて、始めて自分のものにせられたといふ事があります。此は昔の女は男を嫌つて、逃げ廻つたものだといふ風に、解釈されて居ります。それから又同じ景行天皇が美濃の国の兄《エ》姫・弟《オト》姫、其|兄《エ》姫を手に入れようとせられたが、兄姫は弟姫を自分の代りとして召されるやうにと言うて、弟姫をさし上げた。かういふ様に、其に似た話が沢山ありますが、此は、処女が男を嫌つたのではない。たゞ、古事記・日本紀に書かれた解釈が違つて居るのです。実は其らの処女は、みな神に仕へて居る処女なのです。
先に申しました通り、或国、或は或村の家の歴史なり、叙事詩なりに残されてゐる其国・其村の頭の家の処女の場合は、皆吾々の考へる普通の処女の様なものではなく、大抵皆神に仕へて居る処女、即巫女である。そして、其処女が神に仕へる力を利用して、其処女の兄なり、親なりが、国を治め、村を治めて居る。此が国を治める原則である。処女が神に仕へて、其兄なり、父なり、叔父なりが、神から引き出した知識を以て、此国を治めて居るといふのが、日本の昔の政治の一般的な遣り方であります。其でなければ、又国々・村々の者が承知をしないのであります。さういふ処女の場合ですから、天子に許さないで、夫なる神の為に逃げ廻つたのです。かういふ風で、昔の処女はなか/\男に許さなかつたといふ形になつて居る。此例は幾らも伝はつて居ります。それは叙事詩に伝はる処女で、多数の人の争ひに依つて、遂に其に堪へられないで死ぬ。さういふ生活をする処女があつた。其が奈良朝の初め、或はもう少し前から、さういふ生活は段々記憶から薄らいで参りまして、非常に美しい哀れな物語といふ風に感じる様になり、皆其に憧れたのであります。
現在でも、沖縄へ行つて見ますと、さういふ事があります。結婚の盃を済ますと同時に、花嫁は其家を逃げ出してしまふ所がある。此外又沖縄一帯の風習では、結婚の最初の晩は、新しい夫と新しい妻とは、決して室を一つにしませぬ。女房は其処に泊つて居るが、男は自分の友達を連れて花街へ行つてしまふ。是は男が男女の結婚方法を知らないといけないから、第一夜は花街へ行つて習つて来るのだといふ解釈をして居りますが、非常に間違つた解釈であります。
それから沖縄の首里の町から二里程離れた久高《クタカ》といふ島で、大正四年頃まで行はれて居りましたが、――非常に不便だから、其島中申し合せて、やめる事にしたのですが、――さうでなければ未だ続けて居つたでせう、――其島では、嫁さんが最初亭主の家へ行く時、非常に親娘の名残が惜しいといふ様子をして、さて亭主の家へ行つて盃ごとをする。其盃が済むと同時に、女房は家を抜け出して、岩の穴とか、森の中の様な所とか、或は他人の家へ隠れてしまふ。昼は構はないが、夜捕へられるといけないからです。だから、昼は亭主の家へ行つてゐるが、日暮れから明け方までの間は、亭主の目に触れない様な所へ行つてしまふ。亭主や友達が手分けして探しに行く。其島は、東西五町位、南北七八町位の小さな島ですから、直ぐ訣りさうでありますが、なかなか訣らない。其は女でなければ行けない、這入れない所がある。神社の森の中は、男には這入れない。さういふ中へ這入られゝば、見えて居つても駄目です。だから其間亭主はまるでお預けみたいな状態にある。
この島は漁業が盛ん
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