扮装する義務と、権利とがあつた訣なのです。一年の間に其神が、村の家々に来り臨む日がある。其日に神に姿をやつして、村の家々へ行く。さうすると巫女なる女が残つて居て、即まれびと[#「まれびと」に傍線]を接待して、おろそかにせないのです。つまり神が其家へ来られたのを饗応する。
ところが段々其意味が忘れられて来まして、唯の若い衆である所の男が――神の資格を持たない平生の夜にも、――処女のある家には、通ふといふ風習に変つて参りました。だから、単なる村の人口を殖《ふや》さうなどゝいふ考へから出た交訪ではなくて、厳粛な宗教的の意味から出発してゐたのです。若い衆は神の使ひ人、同時にある時期には、きびしい物忌みをして神になるものといふ信仰から出た制度であります。其で、神が来臨する祭りの夜は、男は皆外へ出払つて居つて、巫女たるべき女が残つて居る。さうした家々へ神人が行く。饗応をも受ければ、床も共にして、夜の明けぬ前に戻る。さうして若《も》しも其晩子が寓《ヤド》ると、言ふまでもなく神の子として、育てたのです。決して人間の胤と考へない。
四
さうした形の外に、まだ神秘な一夜の神婚の場所がありました。神祭りの晩には、無制限に貞操が解放せられまして、娘は勿論、女房でも知らぬ男に会ふ事を黙認してゐる地方がありましたし、まだ、風習のなくなりきらない村もあるやうです。其は蛮風といへば蛮風ですが、其だけの歴史的基礎があるのです。古代信仰の変形が存してゐる訣なのです。結婚以前に、それ/″\神が処女の処に来る風が、初夜権以前に重つて来た次第です。其で、もう一度正式に神の試みがある様になつたものと思はれます。其で結婚の資格が出来るのが、原則だつた様です。此事が解せられぬと、古事記・日本紀、或は万葉集・風土記なんかをお読みになつても、訣らぬ処や、意義浅く看て過ぎる処が多いのです。
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誰《タ》そや。この家《ヤ》の戸《ト》押《オソ》ぶる。新嘗《ニフナミ》に、我が夫《セ》を行《ヤ》りて、斎《イハ》ふ此戸を(万葉集巻十四)
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万葉集の此歌は、女房が、巫女をする場合です。
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にほとりの 葛飾早稲《カツシカワセ》を贄《ニヘ》すとも、彼《ソ》の愛《カナ》しきを、外《ト》に立てめやも(万葉集巻十四)
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それから又斯ういふ
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