た。実際は神が来るのではなくて、神事に与つて居る者が試みる。つまり初夜権といふので、日本でも奈良朝以前には、国々村々の神主といふ者は、其権利を持つて居つた痕跡がある。其が今でも残つて居る。瀬戸内海のある島には、最近まで其風があつた様です。此は、結婚の資格があるかどうかを試すのだといひますが、決してさういふ訣ではない。又さうした権利が、長老及び或種の宗教家にあると考へるだけでは、足りませぬ。村々の女は一度正式に神の嫁になつて来なければ、村人の妻になれない。一度神の嫁――神の巫女になつて来なければならぬといふ信仰が根本にあるのです。それの済んだ者は、自由に正式の結婚が出来た。其が済まなければ、正式の夫をもつ事が出来なかつた。
ところが後世は、其までうつちやつて置いて、愈結婚といふ時に、始めての夜に、処女の所へ来る者があるのです。其は神の名に於て、ある神人が来る。其は神事に与つて居る者が、神様になつて来る。我が国でも、中部の山の多い地方へ行きますと、其来られる神をえびす様[#「えびす様」に傍線]として、空想して居る所があります。沖縄地方にも其があります。夫は遊所へ出かけてしまつて、縁女は一人初夜の家にとまる。さういふ証拠は沢山あります。
人の妻になる以前は、処女はどうであるか。厳重に貞操を守つて居つたかといふと、此は守つて居つたとも言はれ、守つて居らなかつたとも言へる。近頃まで村の娘といふものは、村中の若い衆の共有だといふ様に考へて居りました。そして外の村の者が侵入すると、ひどい目に遭はせる。処女のある家へは、自由に泊りに行き、後には隠れ忍んで行く。此は半分大びらで、夜は男が来るのを許さなければならなかつたのです。此は維新前、或は其後も田舎では続いて居たやうです。
其がどこから来たかといふと、此は神祭りの時に、村の神に扮装する男が、村の処女の家に通ふ。即、神が村の家々を訪問する。その時は、家々の男は皆出払つて、処女或は主婦が残つて神様を待つて居る。さうして神が来ると接待する。つまり臨時の巫女として、神の嫁の資格であしらふ。「一夜妻《ヒトヨヅマ》」といふのが、其です。決して遊女を表す古語ではなかつたのです。此は語学者が間違へて来たのも無理はありません。一夜だけ神の臨時の杖代《ツヱシロ》となる訣なのです。
村の若い男――一定の年齢の期間にある男、前に言つた元服をした男は、神に
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