献るのが、順道らしく考へないではない。でも、その為には、もつと努力して、よい本を書いてからにせねばならぬ気がする。其ほど、先生の学問のおかげを、深く蒙つてゐるのである。先生の表現法を摸倣する事によつて、その学問を、全的にとりこまうと努めた。先生の態度を鵜呑みして、其感受力を、自分の内に活かさうとした。私の学問に、若し万が一、新鮮と芳烈とを具へてゐる処があるとしたら、其は、先生の口うつしに過ぎないのである。又、私の学問に、独自の境地・発見があると見えるものがあつたなら、其も亦、先生の『石神問答』前後から引き続いた、長い研究から受けた暗示の、具体化したに過ぎないのである。
其ほど、先生の学問の領域は広く、さうして、深く人を誘惑せずには居ないものである。私は、此学問の草分けに、かうした人を得た、日本の民俗学のさいさき[#「さいさき」に傍点]のよかつた事を思ふ。さうして、不肖ながら、其直門として、此新興の学徒の座末に列する事の出来た光栄を、不思議とさへ考へることがある。今では、先生の益倦まぬ精励が、我々の及ばぬ処までも、段々進んで行つて居られ、新しく門下に参じる人たちも、殖えてゆく一方である。或は心理学的に、社会学的に、日々新しい研究法を加へて行かれる姿がある。発足点から知つた私自身は、一次・二次のものに、固執してゐるかも知れない。使徒の中、最愚鈍な者の伝へた教義が、私の持する民俗学態度かも知れない。併しながら、私は先生の学問に触れて、初めは疑ひ、漸くにして会得し、遂には、我が生くべき道に出たと感じた歓びを、今も忘れないでゐる。この感謝は、私一己のものである。先生に向うて、日本民俗学の開基を讃へる人は、別にあらう。その意味においては、此本は恥しながら、槃特《はんどく》が塚に生えた忘れ茗荷の、一|本《もと》に過ぎない。兄の扶養によつて、わびしい一生を、光りなく暮さねばならなかつた、さうして、彦次郎さん同然、家の過去帳にすら、痕を止めぬ遊民の最期を、あきらめ思うてゐた私の心に、一道の明りのさす事を感じたのである。
其は、新しい国学を興す事である。合理化・近世化せられた古代信仰の、元の姿を見る事である。学問上の伝襲は、私の上に払ひきれぬ霾《ヨナ》の様に積つてゐた。此を整頓する唯一つの方法は、哲学でもなく、宗教でもないことが、始めてはつきりと、心に来た。先生の学問の、まづ向けられた
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