々に民謡から、対話語となつて使はれたものもあるとしたら、やはり、研究資料には用ゐにくい。却て、外貌の類似の著しくないものから、同系語としての組織の等しさを見出して、役立てねばならぬ事もある。親友伊波普猷さんと、此点について益協同の研究を積んで行かうと思うてゐる。
私の古代言語の研究方法は、この通りである。恥かしい物言ひだが、態度においては、最確かな、学術的なものであり、効果から見れば、古代論理に順応する行き方が、古く合理化せられた物から、原形をひき放して、語原の上に、更に、語原を見出す方法を開いて来た様に思ふ。かうした個々の研究の堆積が、同系語の正しい比較研究を導くだらうと考へる。私の国語研究を疑ふ人は、私だけの方法を持たない人だ、と考へてもよい様に思ふのである。私はまづ其人々に、「古代生活に現れた民族論理」の一篇を読んで貰ひたい。
私の研究の立ち場は、常に発生に傾いてゐる。其が延長せられて、展開を見る様になつた。かうする事が、国文学史や、芸能史の考究には、最適しい方法だと考へる。文学芸術の形式や内容の進展から、群衆と個人、凡人と天才との相互作用も明らかにすることが出来る。
私の態度には又、溯源的に時代を逆に見てゆく処も交つてゐる。これは、民俗学の方法である。同時に、文芸の歴史を見るには、此順逆両途を交々用ゐねばならない場合が多い。
時として、私の叙述が、年代を疎かにしてゐる様に見える事がある。これ亦、民俗学と歴史との違ひである。民間伝承においては、土地と時間とを超越した事象が、屡見られる。殊に、全体としては、百年・千年前に亡びたものが、一地方には保持せられてゐることが、稀ではない。かうした伝承が、古代生活の説明に役立つ。文学や、芸能の発生展開の過程も、地方と時代とに相応することもあるが、其影響を離れて、個々の特殊の形に残る事が、とりわけ多い。此等の遺存を綜合しながらの叙述である為、勢《いきほひ》、時代・年月の印象が薄くなる事もある。曲舞を論ずれば、幸若から逆推して、白拍子の女舞の形態を説く事が便利な事もある。千秋万歳の曲舞から、幸若が分化した道程を示す為には、唱門師の職掌・地位を言はねばならぬ。更に、唱門師と陰陽師との交錯状態をも述べねばならぬ。踏歌のことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]を説かねば、千秋万歳の芸能の一因の解決がつかぬ。均しく曲舞というても、時代によつて
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