る。伝承の変化は、変化が自然であるが、作らうとする場合には、学者が意識的に、自分が勝手に解釈して用ゐて行くから、其処に不自然なものが出来て来る。従つて、古くから伝承せられた言葉の中にも、造語が多いわけである。
かう考へると、語原を討ねるといふことは、難しい事である。古い言葉を調べて見ると、語原の先に、まだその語原のある事が訣る。さうなると、全く見当がつかない。日本の辞書も、只あゝいふ風に、常識的に、語を陳列してゐるだけであつて、もつとつきつめた事になると、何もわかつて居ないのである。悲しいことではあるが、併しこれが、新しい研究の、刺戟にならねばならないと思ふ。今までの用語例といふものが、既に固定して了うてゐて、我々の拓かねばならぬ所が多いから、張り合ひがある訣である。
三
次に、口頭伝承の言葉で、段々、口語の中に織り込まれたものがある。其は、貴族のした事であつて、古語をその生活の上に活かして用ゐたので、古い言葉が、生きて来るやうになつた。それで、奈良朝に無かつた言葉が、平安朝になつて出て来るといふ事になるのである。併し此は、平安朝以前に、さういふ言葉が無かつた、といふ事にはならない。かうした現象は、平安朝に到つて、書物が多くなり、従つて記録せられる機会が多かつた為に、現れて来たとも考へられるが、又一方、貴族の語を模倣した女房の言葉が、記録せられるやうになつたといふ、時代の変遷にも依るのである。
かうしたわけで、何処かに伝つてゐる古い言葉とか、又は記録の文とかで、何かの場合にしか使はれないやうな言語が、生きて来るのである。譬へば、上達部といふ言葉は、平安朝になつて出て来るが、考へて見ると、決して平安朝に出来た言葉ではなく、宮廷と神社とを同じに考へてゐた、ずつと昔の言葉である。
こんな風にして、死んだ言葉が生きて来、又文語とそれと、調和した様な言葉が出来て来た。それで、長い時代の間には、伝へられた言葉が、すつかり、誤解を重ねて来ることになるのである。此は、口頭伝承を書き伝へた、書き物に対する誤解や、又誤つた直感が、働くことに依るのである。が此事は、表面の事実であつて、実はかうならねばならぬ、昔からの根があつた。それは、言葉の意味をわからなくする、神のあつたことである。
此神は、八心思兼神と云はれる、唱詞の神である。中臣氏の祖先だとも云はれてゐるが、誤りかと
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