うに分割して説明する場合が、尠くないのである。たとへば、イヨヽヽ・マスヽヽを、ウタヽと言ふ日本語で、其を訳し分けて訓をつけると、全く別の用語例にあるものと見える。だが実は、ウタヽとイヨヽヽとの間には、其ほどの区別はないのである。倍の字が、イヨヽヽの意義を持つてゐることは言ふまでもない。而も同時にウタヽと訓むだけの内容を持つてゐる事も知れる。即、ウタヽとイヨヽヽとがある時期には、一つの意義をめぐる隣接語だつたのである。
其は殆同じ内容の新旧並行の同義語だつたり、又階段を異にしてゐると言ふだけの近義語の場合もあり、其から又、飛び離れた意義の語でありながら、ある一つの語に対して、同じ位置に据ゑられることがある。とすると、本来の意義の中から、似よりの方面を分化して、右の語に関係して行く。「うたゝ」と「いよ/\」とは、同義語でないかも知れぬ――さう見る方が適切らしいが、仮りにかう言ふ風に考へて――が、ある時期において、ある種の叙述的な語句に接する時には、非常に近義を発揮したのだと言へる。うたて[#「うたて」に傍線]の方から言へば、いよ/\と殆同じ用語例に入ることになる。
併し此語の用語例は、積極・消極の両方面がある。嫌悪の情を表す場合が相当にあつたのを、文章語の上では次第に忘却して行つた。さうして積極的とも言ふべき愈益《イヨヽヽマスヽヽ》と同義の方面に進んで行く中に、古典語となつてしまつて、主として漢籍に固定した訓法ばかりに用ゐられるやうになつた。さうして、ウタヽ以外に、あつた形のことなどは忘られてしまつた。此が今日も尚多くの場合意味不明な訓読法の一つとして、漢文の訳読に残つた転の字の訓なのである。
ところが一方、同一の語であつて、書き物には寧其よりも古く、形が見えて居り、後に音韻分化によつて、うたゝ[#「うたゝ」に傍線]を派出したと思はれるうたて[#「うたて」に傍線]がある。うたて[#「うたて」に傍線]がまづあり、後に至つて、うたて[#「うたて」に傍線]・うたゝ[#「うたゝ」に傍線]並行せられ、其が又岐れて、うたゝ[#「うたゝ」に傍線]は漢文訳語に附属して、古典語化して残存し、うたて[#「うたて」に傍線]は、律文・散文に通じて用ゐられ、後長く口語の上に保存せられて、方言には今も遣ふ地方がある、と謂つた風に、別々の道を通つて来てゐる。方言うたて[#「うたて」に傍線]は、うたてい[#「うたてい」に傍線]と形容詞に扱はれて、大抵は嫌悪倦怠感を起させる対象に向つての表情となつてゐる。近代の用語例は、やはり其と同じで、形はうたてし[#「うたてし」に傍線]を思はせるうたてい[#「うたてい」に傍線]の外に、うたての[#「うたての」に傍線]・うたてな[#「うたてな」に傍線]などがある。中世の初め――平安期の日記・物語・短歌類にあるものは、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が標準形で、うたてし[#「うたてし」に傍線]と言ふ形は、卑俗な感じを持たせたものらしい。ところが極めて微力な用語例だが、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]と言ふ形が、稀に用ゐられてゐる。此が、うたて[#「うたて」に傍線]・うたゝ[#「うたゝ」に傍線]並行時代で、とりたてゝ用語例に区別がないやうだ。「花と見て折らむとすれば、女郎花うたゝあるさまの名にこそありけれ(古今)」「思ふことなけれど濡れぬ我が袖はうたゝある野べの萩の露かな(後拾遺)」「さらぬだに雪の光りはあるものをうたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]あけの月ぞやすらふ(式子内親王集)」古今以後の短歌に、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]が標準形のやうにとられて、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が本格的でないやうに見え――唯うたて[#「うたて」に傍線]だけを副詞のやうに据ゑたものは、相応にある――るのは、なぜだらう。平安期を通じ、更に中世中期と言ふべき鎌倉期にも、まだ生きて――擬古文用の語としてゞなく――散文には、多く遣はれてゐるのは、平常語としては、勢力があつても、文学語・学術語――即、古典語――としては、位置をうたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]に譲つて行つたことを示してゐるのではないか。
更に溯ると、万葉に五例まであつて、いづれもうたて[#「うたて」に傍線]と訓むべきで、亦あり[#「あり」に傍線]を伴うて居ない。菟楯(イ)・宇多手(ロ)・得田|直《テ》(ハ)・得田|価《テ》(ニ)・宇多弖(ホ)とあつて、ウタヽと訓まぬ方が正しい。「……下なやましも。(イ)この頃」(巻十、一八八九)「……見まくぞ欲しき。(ロ)この頃」(巻十一、二四六四)「(ハ)この頃恋のしげしも」(巻十二、二八七七)「(ニ)異《ケ》に心いぶせし」(同、二九四九)「秋といへば、心ぞいたき。(ホ)異に花になぞへて見まく欲《ホ》りかも」(巻二十、四三〇七)
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