ら見て言ふだけのことであつて、現存しない反証の出て来ることも予期せねばならぬ。まづ今の処間違ひなく言へることは、古代にも相当に夙くから、此語はあり、生得の副詞として、所謂語根のまゝのものであり、従つてく[#「く」に丸傍点]・も[#「も」に丸傍点]・に[#「に」に丸傍点]・と[#「と」に丸傍点]など言ふ接尾語によらずとも、十分に副詞機能を発揮したものであつた。其が類型表現の為に、憂鬱・嫌厭の甚しさ[#「甚しさ」に傍点]を表すことが多かつた。中世の初め、略語表現が盛んに行はれた人々の間で、叙述部の為の修飾部だけを遣つて、叙述部の代理までさせる様になつた。其結果、修飾部が叙述部となつた。さうして、うたて[#「うたて」に傍線]は完全に悲観・倦厭の情を示す用語例に入つてしまつた。さうなつてもまだ、此語自身の持つた運命は、く[#「く」に丸傍点]・し[#「し」に丸傍点]・き[#「き」に丸傍点]など言ふ形容詞語尾を完全に持つには到らなく、却て別の形が叙述部として役に立つ為に出来て来た。其が、うたてあり[#「うたてあり」に傍線]である。副詞の位置の自由だつた為、転倒して文末に来ることなどがあつたこと、「……行かなくに。」「……うらもとなくも。」などが、其を示してゐる。此等も皆あり[#「あり」に傍点]をつければ、完全な叙述部として立つことが出来る。此まゝでも、事実において、叙述能力を持つてゐる。唯うたてあり[#「うたてあり」に傍線]の場合、語尾をつけて、副詞から形容詞(あり[#「あり」に傍線]を複合した)を構成したのである。よくあり[#「よくあり」に傍線]・こひしくあり[#「こひしくあり」に傍線]を類推の基礎にしてゐる。さうして単に叙述部ばかりに止らず、自由な動詞状形容詞として、連体形も出来て来た。さうして、完全に悲観・嫌厭の情を専らに言ふことになつた。此頃から一方音韻分化したうたゝ[#「うたゝ」に傍線]の形が、うたゝあり[#「うたゝあり」に傍線]ともなり、悲感を表すと共に、積極感をも示すことになつたが、此は訓読専門の語となつて行つたらしく、専らうたゝ[#「うたゝ」に傍線]と言ふ形の死語として、今日までも残つた。
うたて[#「うたて」に傍線]・うたてあり[#「うたてあり」に傍線]が並び行はれてゐる間に、うたてく・うたてき・うたてしなど言ふ不整形な語も認められるやうになつた。さうして、近代に入つては、うたての・うたてな・うたていなどが出た。さうして今も方言では、うたてい[#「うたてい」に傍点]として残り、煩雑・困惑・倦怠などの情調を表す語として用ゐられる地方が、相応にある。
「うたて+……」と謂つた形の句が、うたて[#「うたて」に傍線]だけを残した脱落句となる前に、うたて[#「うたて」に傍線]が既に叙述性能を持つて来てゐるのだ。さうして、副詞である為に、其位置は自由であるが、ともかくも不整形叙述語としての力だけは持つてゐた。さうして尚も、其自身不整備形なることを忘れないでゐる為に、あり[#「あり」に傍線]を補ふことによつて、語形を完成しようとしたのである。だがさうしても、うたて[#「うたて」に傍線]を様式上形容動詞風にして、叙述部感を完うしようとしたゞけである。此は、後に説く「あさまし」その他の場合にもくり返されることである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
※題名の下に「昭和九年以降草稿」の表記あり。
※底本の題名の下に書かれている「昭和九年以降草稿」はファイル末の注記欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年4月11日作成
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