らぬやうになつて居たからである。彼ら男女のなからひには、必鶏が割り込んで来た為である。一夜妻《ひとよづま》の様に、向うからしかけるのは特別、普通は男から女の家に出向いて鶏鳴に催されて帰つて来るのが、婚約期間の習俗であつたとすれば、鶏の印象が長い/\古代の情史の上に、跡を牽くのも尤な事である。併しながら、きぬ/″\の別れを鶏のせゐにして、かさ怨みを無邪気な家畜に投げつけるのは、よほど享楽態度を加へてからの話である。
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隠国《コモリク》の泊瀬|小《ヲ》国に、さ婚《ヨバ》ひに我《ア》が来れば、たな曇り雪はふり来ぬ。さ曇り雨はふり来ぬ。野《ヌ》つ鳥|雉《キヾシ》はとよみ、家つ鳥|鶏《カケ》も鳴き、さ夜は明け此夜は明けぬ。入りて朝寝む。此戸開かせ(万葉巻十三)
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答への歌から見ると、泊瀬天皇などの伝記に関係した短篇叙事詩の謡化したものらしい。後朝をわびるどころではない。入りて朝寝むとまで、感傷せずに言うて居る。鶏が入り込むと、どゞいつ[#「どゞいつ」に傍線]・端唄の情歌色彩を帯びて来るものであるが、其がないのは、時代である。右の歌が離れて来た元の形と
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