らに、恋ふれども、逢ふよしをなみ、……石根さくみてなづみ来し……
○……みどり児のこひ泣く毎に、……烏徳(穂)自物わきばさみもち、……昼はも……、夜はも……なげゝども……こふれども、……石根さくみてなづみ来し……
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ](右二首、同巻二、柿本人麻呂)
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
○おもがたの忘れてあらば(るとあらば)、あぢきなく、男士物屋恋ひつゝ居らむ(同巻十一)
[#ここで字下げ終わり]
前の三つの例は、若し「をとこじもの」が、普通考へる様にかゝつてゐるか、疑問だから、稍余裕を置いて考へてゐた。すると、「恋ふ」と言ふ語にかゝつてゐる様にも見える。だが一方、「如く」と一歩の差ある「なるに」「として」など言ふ反対意識を含んで来たものもあることは、否定出来ない。さうした処から、第一類の「じもの」が出来たのであらう。畢竟形容詞の「し」の本来持つた所の「し物」の義が、語となつて現れて来たものと言ふことが出来よう。尚一応考へて見ると、さうした古い「じもの」を以て言ふ固定した表現法があつて、呪詞・宣命・祝詞の表現法の古式としてくり返されてゐる間に、新しい文学が、其様式をとり込み更におし拡げた。其で、類例の尠かつた「じもの」が次第に展開して行つて、第一類を生み出したものと思はれる。たとへば、「畏じ物」の形を延長すると共に、其内容をさのみ変化することなしに、効果を表すには、枕詞の方法が影響したであらう。前にあげた第一類は凡、「かしこじもの」の具体化ではないか。悉く、従属・帰服・謙遜などの様子を示してゐるのが、其証拠である。「鵜じもの」「犬じもの」と謂つても、結局「かしこじもの」の枕詞化ではないか。其と共に、形容詞意識を盛んに持ちはじめた時代だけに、「じもの」の「じ」がさう言ふ方向に力を持ち出してゐる。今すこし推察を附け加へることが出来れば、「かしこじ物」「かこじもの」の類音聯想が、更に「しゝじ物」を案出せしめたとも言へる。「馬じもの」と言ひ、「鴨じもの」と言うても、皆降伏・奉仕の形容に用ゐられてゐる。
「じもの」の語原については、「其《シ》物」「状《シ》物」など言ふ印象分解説はあるが、其では「もの」の説明を閑却してゐる。私は思ふ。「もの」はやはり、霊魂の義である。「かしこじもの」は「畏し霊」で、其威力によつての義を含んで居り、「をとこじもの」は壮夫霊《ヲトコジモノ》によつて、招魂《コヒ》をすると言ふ呪詞的な用語例があつたものと見る。意識が変じて、畏ければ、畏しとして、壮夫なれば、壮夫としてなど言ふ風に感じられ、其が更に、新しい民間語原を呼び起したものと見える。併し其径路にあるものとして、遷却祟神祭祝詞・出雲国造神賀詞を見るがよい。物質・霊魂を比喩或は象徴としてゐることが知れる。同時に、「……の霊の表現としての」、「……の霊の寓りなる」と言ふ古代信仰が見えて居る。
○
私は、いろ/\の方角から形容詞語尾「し」の発生を説かうとした。さうして尚言ひ残した事が多い。最心残りなのは、どうしても「し」が語根の一部と見られるものゝ多いこと、亦もつと大切な語根の性質の論を決定した基礎の上に、此論は立つ筈だつたのだ。其が、毫も出来て居ない。其上未練を添へれば、此論文の、主題とした「し」の領格語尾としての成立をすら、存分に言ひ立てる事の出来ないで了うた事である。
唯、私の学問を長く慈愛の目で瞻続けて来て下された金沢先生は、かうした論文からも、書かれてゐない結論を見出して下さることゝ、信じもし、甘えもして、文をとぢめることを許して頂くのである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「東洋語学乃研究」
1932(昭和7)年12月
※底本の題名の下に書かれている「昭和七年十二月刊、金沢博士還暦記念「東洋語学乃研究」」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年11月30日作成
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