形容詞の論
――語尾「し」の発生――
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)くはし女《メ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)里|爾《ニ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「缶+墫のつくり」、第3水準1−90−25]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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文法上に於ける文章論は、非常に輝かしい為事の様に見られてゐる。其が、美しい関聯を持つて居る点に於いて、恰、文法の哲学とでも言ふ様に、意味深く見られてゐるやうだ。私は常に思ふ。文章論は言語心理学の領分に入れるべきもので、文法から解放せられなければならない。文法は結局、形式論に初つて形式論に終る事を、覚悟してかゝらなければならないのである。総ての学問のうちに、最実証的でなければならぬ筈の文法にして、而も精神分析に似た傾きを持ち、その過程に於いて理論的の遊戯に堕するものが殖えて来たのも、この文章論の態度が総てに及ぶからだと言ふのである。此処にかうした平生の考への一端を漏すのは、外ではない。単語の組織の研究が、結局は文章の体制に就いての根本的な理会を与へるものだ、と思ふからである。
形容詞の発生を追及して行く事は、同時に、日本文章組織の或一面の成立を暗示する事になるだらうと考へるのだ。国語に於ける所謂、形容詞の生命を扼するものは、その語尾なる「し」である。
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かなし妹  めぐし子
くはし女《メ》  うまし国
かたし磐《ハ》  まぐはし児ろ
とほ/″\し高志の国
うらぐはし山(?浦妙山)
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かうした熟語の形は、後世までも影響を残して居つて、日常語のうちにも、擬古的表現を用ゐるものには、時々現れて来る。けれども、大体から言へば、我々の持つて居る後期王朝の用語例を基礎として、若干その前後の時代のものを包含した文法に対しては、やはり時代を別に劃した方が適切である。端的に言へば、私は最近まで、この「し」を以て語根の一部分[#「語根の一部分」に傍点]と見てゐた。即、今述べた文法時代の、更に今一つ前の時代に、語根体言として用ゐられ、又真実に感ぜられて居つたものが次第に、かうした「し」の部分だけを、その屈折と見做す理会が嵩じて来て、一種の用言観念を生じて来たもの、と言ふ考へを、久しく固守してゐた。唯、わが古文献は、先に述べた文法時代のうち、第三期の材料は非常に多く残つてゐるに繋らず、第二期既に尠く、第一期に至つては、恰、化石の散列から有形を想像するより外に方法がない程、材料が残つてゐない。さうした間から我々は、まづ語根の末尾に「し」或は「s」に似た音を共有した多くの例を見いださなければならない。処が、我々の探求する事の出来るものは、単に形容詞の語尾か或は語根の屈折したものかの判断にすら、迷はなければならない例があるに過ぎない。其で、私はこの側の主張をさし控へると共に、どうしてさう言ふ考へ方をせねばならなかつたか、と言ふ径路を示す事が、もつと新しい考へを形容詞の語尾の研究に与へる事になりさうに思ふ。
私は動詞・形容詞に通じて、語尾発生の規則らしいものゝあるを考へてゐた。其は、語根の尾音が子音であつて、その屈折が母音を包含する様になる。譬へば、動詞に於いては、「う」列音を派生する事に依つて、まづ終止形が出来る。さうして、更に自由な屈折が、所謂総ての活段を意識せしめるまでにくり返されたものと見てゐた。さうして此は、尠くとも動詞に於いては真理である。今におき、この考へを私は変へる必要を認めてゐない。だが、其と共に私は、形容詞の成立にも、同じ原因のあるもの、と考へたのであつた。だが、その為には、幾歩を譲るとしても、形容詞語尾「し」を意識する為には、或種の事情を共通した「s」音で終る語根のあつたその理由を知らなければならない。其と共に、動詞の場合に稀に「i」音で屈折するのがあるにしても、多くは「u」音であるに拘らず、形容詞に於いては「i」音である訣と、「i」音がどうして附着して来たかの説明がいる訣である。処が我々には、まだ理会せられない所の或法則的に用ゐられる「し」がある。
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イ、とこしへ  かたしへ
  いにしへ
ロ、いまし(く) けたし(く)
  しまし(く)
ハ、やすみしゝ  いよしたゝしゝ
  あそばしゝ
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此等の「し」に就いて、或ものは所謂接尾語、或は緊張辞、と言ふ風に説明して行けるであらう。併しながら其は、文法的の分類でなくて、修辞的の区劃である。このうち(ロ)の例は、我々の持つてゐる形容詞語尾の感覚に近いものであつて、活用完成の径路には、必経てゐる姿であるに違ひない。(イ)は、文法的語感の持ち方に依つて違ふ所もあらうが、大体に於いて、領格「つ」を以て代入出来さうに、現代の感じでは思はれる。即、いにしへ[#「いにしへ」に傍線]のし[#「し」に傍線]は、単純に過去の助動詞と採るべきではなからうと思ふが、其を拒む理由もまだ立たない。かたしへ[#「かたしへ」に傍線]の方になると、かたし[#「かたし」に傍線]だけでほゞ熟語であり、体言の感覚が持たれて居つた痕跡はある。とこしへ[#「とこしへ」に傍線]などは、とこつへ[#「とこつへ」に傍線]と言ふ形を仮想して見ると、とことは[#「とことは」に傍線]なる詞の形が訣りさうである。ともかくもこの一群に於いては、の[#「の」に傍線]・が[#「が」に傍線]・つ[#「つ」に傍線]に近づいてゐる事は明らかである。(ハ)の例に於いては、総て単語に着くと言ふよりも、句に続くと言うた感じを持たせるが、結局はその詞自身が長く、その上に、詞に屈折の多い為に、さう感ぜられるだけである。
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いよしたゝしゝ……弓
やすみしゝ……おほきみ
あそばしゝ……しゝ(?)
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つまりは、音脚の制限を受けた律文の中にあればこそ、熟語としての感覚が乏しいのに過ぎない。たとへば、
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なぐはし(名細) よしぬのやまは、……くもゐにぞ、とほくありける(万葉巻一)
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を例にとつて見る。かう言ふ場合、枕詞の格として、我々は常に、其連続について問題としてはゐない。なぐはし[#「なぐはし」に傍線]とよしぬ[#「よしぬ」に傍線]との間には不即不離の関係があるのだと言ふ位に考へてゐる。此は即、文法に気分観を容れるからの間違ひである。おなじ詞でも、古用語例を延長したもの、たとへば、「名細之《ナグハシ》 さみねの島の」(巻二)と言つた例になると、よし[#「よし」に傍点]野と謂つた様に適確に名細しと言ふのでなく、唯漠然と名の感じがよいと言ふ位に転じてゐる。つまり単なる地名のほめ[#「ほめ」に傍点]詞なのである。此と「名細寸《ナグハシキ》 いなみの海のおきつ浪」(巻三)と言ふのと、どれ程の差違があらう。
この三つを並べて見ると、古格と古格を辛うじて守つてゐるものと、新しい感覚に従うて文法を整頓したものとの間に、自然に通じるものが見られる。最進んだ枕詞論者は、語句の固定によつて、枕詞としての感覚が出されてゐるものと言ふであらう。だが、真実、「なぐはし よしぬ」と「なぐはしき いなみのうみ」との間に時代的発想の新旧が見られるだけではないか。唯、前者ではよしぬ[#「よしぬ」に傍点]との関係の深さは見えるが、後者は「の海」まで、なぐはしき[#「なぐはしき」に傍線]の効果の及んでゐることは確かだ。
枕詞と言はれ、又さう扱はれてゐないものゝ中でも、特別なものを除けば、実は分類の不正確なものに過ぎなかつた。だから、前にあげた「やすみしゝ」が枕詞であつて、自余の物がさうでないなど言ふのは、唯の習慣の問題に過ぎない。更に此癖は、熟語かどうかと言ふ感じをさへも、鈍らしてゐるのである。
今一度方面をかへて(ハ)の例について物を言ふなら、「やすみしゝ」などの上の「し」は敬語の助動詞に属すべきものだ。こゝにも問題があるので、「……さす[#「さす」に傍点]」・「……しす[#「しす」に傍点]」など概括して古代風に感じられる敬語法では、上が唯する[#「する」に傍点]と言ふ動詞で名詞についたもの、下が敬語的屈折を作るものと言ふ風に理会せられる。昨非今是まことに面目ないが、単に朝令暮改と笑殺されてもさし支へない。私は、今敢へて上の「し」を敬相、下の「し」を、尚多くの隈を含めながら、熟語を構成する一つの形式的要素[#「熟語を構成する一つの形式的要素」に傍点]と見ようと考へてゐる。
枕詞と言うても、いろ/\あるが大体に、枕詞と感じるだけの約束がないでもない。ある一つの約束は、一つの固定した格を作つて、外の語と紛れぬ様になつてゐることだ。こゝには其について、一々述べないが、この場合の問題の「を」なども其だ。「けごろもを……はる[#「はる」に傍点]冬」「みはかしを……つるぎ……」「みこゝろを……よしぬ」(イ)[#「(イ)」は縦中横]の如き、近代の人の文法的調節によつて感じる所の、御心よ……み佩刀よ……褻衣よ……など言ふ形は、確かに万葉時代にも其通り考へてゐた時期はあつたらしく、其と共に、既に此「を」を以て目的格の助辞と見るに傾いたらしい例は、ぼつ/\ある。「わぎもこを……いざみの山(はやみ浜……)」「いもがてを……とろしの池」「たちばなを……もりべのさと」(ロ)[#「(ロ)」は縦中横]などは、弁疏の余地は、多少あるとは言へ、意識が移つてゐると見るのが、本道らしい。(イ)[#「(イ)」は縦中横]と同じ傾向で、其成立した時代の、更に古くとも新しくない「うまざけを……みわ」が「うまざけの……みわ」、――殊にこの例では、うまざけ[#「うまざけ」に傍線]・うまざけを[#「うまざけを」に傍線]・うまざけの[#「うまざけの」に傍線]と言ふ三階段を併せ持つてゐる。――と言ふ形があり、「はるびを……かすが」に対して、日本紀では、「はるびの……かすが」の形が存してゐる。「をとめらを……袖ふる山」は、又同じく万葉に「をとめらが……袖ふる山」となつてゐる。
かうして見ると、枕詞の格と言ふべきものは、固定を保つてゐるものではなかつた。「を」が所謂後世式の感動のてには[#「てには」に傍点]らしい職分は、畢竟やはり後人の感覚で、熟語化する為の辞と言はないまでも、其以外の方面に導く為の語ではなかつた訣である。其が、新しい意識を派生して、目的格の様な形に考へ、其に該当する叙述語らしいもので、枕詞の職能を完成させようとする様にもなつた。が、此は、「を」と言ふてには[#「てには」に傍点]全体に行き亘つた要求で、感動から目的に出て行かうとするのが、万葉に見える用語例の過渡期である。一方考へれば、この「を」は、だから、感動のてには[#「てには」に傍点]でもない。唯ある固定を保つことによつて[#「唯ある固定を保つことによつて」に傍点]、其に続行して来る部分の、修飾語の様な形をとらう、としてゐることが知れる。即、「の」と代用せられてゐる所以である。
だから、体言的であればあるだけ、又句を跨げると言ふ修辞上の簡単なる制約によつて、熟語を作る筈の二語の間の性能は、隔離せられるものではない。
処が、かうした語の形にわりこんで来る言語情調が、之を説明して、囃し詞式の意識を持たせる。此は単に根拠のない併し、又同時に新しい文法を形づくるところの気分であつて、蔑にすることは出来ないが、この場合大きな惑ひを惹き起すことがあるから注意をせねばならぬ。
又かうした説明からは、この「を」が、当然あつてもなくても、文法組織に動揺がない様に思はれて来る。もつと端的に言へば、「うまざけ……みわ」と言つてすんでゐた。其に声楽的の要素がわり込んで来たものと言ふことが出来る。此は、勿論忽に出来ないこ
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