実に感ぜられて居つたものが次第に、かうした「し」の部分だけを、その屈折と見做す理会が嵩じて来て、一種の用言観念を生じて来たもの、と言ふ考へを、久しく固守してゐた。唯、わが古文献は、先に述べた文法時代のうち、第三期の材料は非常に多く残つてゐるに繋らず、第二期既に尠く、第一期に至つては、恰、化石の散列から有形を想像するより外に方法がない程、材料が残つてゐない。さうした間から我々は、まづ語根の末尾に「し」或は「s」に似た音を共有した多くの例を見いださなければならない。処が、我々の探求する事の出来るものは、単に形容詞の語尾か或は語根の屈折したものかの判断にすら、迷はなければならない例があるに過ぎない。其で、私はこの側の主張をさし控へると共に、どうしてさう言ふ考へ方をせねばならなかつたか、と言ふ径路を示す事が、もつと新しい考へを形容詞の語尾の研究に与へる事になりさうに思ふ。
私は動詞・形容詞に通じて、語尾発生の規則らしいものゝあるを考へてゐた。其は、語根の尾音が子音であつて、その屈折が母音を包含する様になる。譬へば、動詞に於いては、「う」列音を派生する事に依つて、まづ終止形が出来る。さうして、更
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