人等も、一つ二つを漏し落す事もあらむか、と辱なみ、愧しみおもほしまして、我皇太上天皇の大前に「恐古之物《カシコシモノ》」進退匍匐廻《シヾマヒ?ハラバヒモト》[#(保利《ホリ》)]……
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[#地から1字上げ](宣命、神亀六年八月五日)
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○汝《ナ》が命きこしめせとのりたまふ御命を「畏自物」受賜[#(理)]坐[#(天)]食国天下[#(乎)]恵賜[#(比)]治賜[#(布)]間[#(爾)]……
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[#地から1字上げ](宣命、天平勝宝元年七月二日)
此等の例を、凡に見ると、万葉の「じもの」の分化したもの、と思はれさうだ。併し、其にしては、あまり飛躍し過ぎてゐると言ふことも、同時に思ひ浮ぶであらう。ともかくも、通例の形容詞の用語例に馴れた我々には、「いまじきの間」「ましゞ・ましゞき」「われじく」或は又、「おたひし[#「し」に傍点]み」など言ふ形や、
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汝[#(爾)]冠位上賜治賜[#(夫)]。又此家自[#「家自」に白丸傍点][#ここから割り注]久母[#「久母」に白丸傍点][#ここで割り注終わり]藤原卿等[#ここから割り注]乎波[#ここで割り注終わり]掛畏聖天皇御世重[#(※[#「低のつくり」、第3水準1−86−47])]於母自[#「於母自」に白丸傍点][#(岐[#「岐」に白丸傍点])]人[#(乃)]氏(自)門[#(止(波))]……
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[#地から1字上げ](宣命、天平宝字三年六月十六日)
の如き用語例のあつた事を示してゐる宣命、及び其前型としてあつた幾多の旧宣命並びに、弘仁・延喜以前の祝詞に現れた筈の形容詞の様子を、今一度思ひ見る必要がないだらうか。
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○……ゆふべには、入り居なげかひ、わきばさむ児の泣く毎に、雄自毛能負ひみ抱きみ、朝鳥の哭のみ泣きつゝ、恋ふれども……吾妹子が入りにし山をよすがとぞ思ふ
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[#地から1字上げ](万葉巻三、高橋虫麻呂)
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○……鳥自物朝立ちい行きて、入り日なす隠りにしかば、吾妹子がかたみにおけるみどり児の、こひ泣く毎に、…………………男自物わきばさみもち、……旦はうらさび暮し、夜は息づき明し、なげゝどもせむすべ知らに、恋ふれども、逢ふよしをなみ、……石根さくみてなづみ来し……
○……みどり児のこひ泣く毎に、……烏徳(穂)自物わきばさみもち、……昼はも……、夜はも……なげゝども……こふれども、……石根さくみてなづみ来し……
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[#地から1字上げ](右二首、同巻二、柿本人麻呂)
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○おもがたの忘れてあらば(るとあらば)、あぢきなく、男士物屋恋ひつゝ居らむ(同巻十一)
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前の三つの例は、若し「をとこじもの」が、普通考へる様にかゝつてゐるか、疑問だから、稍余裕を置いて考へてゐた。すると、「恋ふ」と言ふ語にかゝつてゐる様にも見える。だが一方、「如く」と一歩の差ある「なるに」「として」など言ふ反対意識を含んで来たものもあることは、否定出来ない。さうした処から、第一類の「じもの」が出来たのであらう。畢竟形容詞の「し」の本来持つた所の「し物」の義が、語となつて現れて来たものと言ふことが出来よう。尚一応考へて見ると、さうした古い「じもの」を以て言ふ固定した表現法があつて、呪詞・宣命・祝詞の表現法の古式としてくり返されてゐる間に、新しい文学が、其様式をとり込み更におし拡げた。其で、類例の尠かつた「じもの」が次第に展開して行つて、第一類を生み出したものと思はれる。たとへば、「畏じ物」の形を延長すると共に、其内容をさのみ変化することなしに、効果を表すには、枕詞の方法が影響したであらう。前にあげた第一類は凡、「かしこじもの」の具体化ではないか。悉く、従属・帰服・謙遜などの様子を示してゐるのが、其証拠である。「鵜じもの」「犬じもの」と謂つても、結局「かしこじもの」の枕詞化ではないか。其と共に、形容詞意識を盛んに持ちはじめた時代だけに、「じもの」の「じ」がさう言ふ方向に力を持ち出してゐる。今すこし推察を附け加へることが出来れば、「かしこじ物」「かこじもの」の類音聯想が、更に「しゝじ物」を案出せしめたとも言へる。「馬じもの」と言ひ、「鴨じもの」と言うても、皆降伏・奉仕の形容に用ゐられてゐる。
「じもの」の語原については、「其《シ》物」「状《シ》物」など言ふ印象分解説はあるが、其では「もの」の説明を閑却してゐる。私は思ふ。「もの」はやはり、霊魂の義である。「かしこじもの」は「畏し霊」で、其威力によつての義を含んで居り、
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