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ますら雄のさつ矢たばさみ|立ち向ひ《イ・むかひたち》|射る《イ・いるや》円方《まとかた》は見るにさやけし(万葉巻一、六一)
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「伊勢風土記逸文」では、序歌の契機点に「や」を挿んで、緩衝してゐる。かう言ふ風に、言ひ改められるのは、理由のあることで、「に」「の」「も」「なす」など言ふ辞を挿むのは、序歌としては、第二義に属するものと言ふことが出来る。序歌の場合は、上の句を譬喩化(或は類音化)して、意義を転換させるのだが、其と共にさうした挿入辞によつて、つき放し[#「つき放し」に傍点]てゐる。ところが、前の場合は、挿入した辞によつて、前句を固定させると共に、後句と接続させる[#「接続させる」に傍点]様になつた。即、「あなにやし」「よしゑやし」「はしけやし」「やすみしゝ」「いよしたゝしゝ」などの、比較的短い語を繋ぐ用途の、意識せられてゐた「し」が、割り込んで来る事になつたものと見られる。かうして見ると、我々は古文献に見える「し」について、考へ直す必要が生じる。
奈良朝の古典で、而も其前代の言語伝承を筆録した部分の含まれてゐる多くの詞章に現れて来る、此類の「し」についてゞある。今泉忠義君は、既に「助動詞き[#「き」に傍線]の活用形し[#「し」に傍線]の考へ」(昭和五年十月号国学院雑誌)と言ふ論文で、過去の「し」の用例の記・紀の歌謡に現れた分を整理して、其成立を考へようとして居る。さうして其が、代名詞「其《シ》」であらうと言ふ仮定に達してゐる。可なり暗示に富んだ優れた考へである。私としては、其同じ用例を反覆して、過去の助動詞は勿論、出来るならば、形容詞の語尾の暗示を惹き出して行かねばならぬのである。
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みつ/\し 久米の子らが垣もとに栽ゑ し はじかみ 口ひゞく……(記紀)
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この例に、「うゑこなぎ」の歌をつき合せて見ると、「垣もとに栽ゑはじかみ」と言うてもよい処だつた事が知れる。
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ありぎぬの 三重の子がさゝがせる みづたまうきに 浮き し 脂 落ちなづさひ みなこをろ/\に……(記)
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の場合も、瑞玉盞《ミヅタマウキ》の同音聯想として、浮き[#「浮き」に傍点]が出て、浮き脂と続くところを、「し」を挿入してゐる。此歌の此部分は尠くとも、神代巻のおのころ島の段と、おなじ伝承の記憶から出来た文句に相違ない。浮きし脂と言ひ、こをろ/\と言ふ点、新しい発想でないことを示してゐる。即瑞玉盞に浮き脂……とも言へる所だ。又、前に引いた一つの例の、
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○山県にまきし[#「し」に傍点]あだね搗き、染め木が汁に染め衣を……(記)
○やすみしゝ[#「ゝ」に傍点] わが大君のあそばしゝ[#「ゝ」に傍点] しゝの(病み猪の)うだき畏み、わが逃げのぼりし[#「し」に傍点]あり丘《ヲ》のうへの榛の木の枝[#「榛の木の枝」に傍線](榛が枝あせを)。あせを[#「あせを」に傍点](記紀)
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前者はやはり、「山県にまきあだね」と一つことゝ説くことが出来る。後の例になると、記・紀共に「し」としてゐる。此になると、今日知れない特別の事情の明らかにならぬ限りは、既に時の観念らしいものを含んでゐると言はねばならぬ。仮りに、合理化を試みると、「この榛や、いづくの榛。やすみしゝわが大君の……わが逃げ登りし……榛の木の枝」と言ふ様な形だつたもので、呪物の由来を説くと共に、「し」に詠歎を含めてゐるらしくも見える。ともかくも「し」は、過去と言へないまでも、職能は変化してゐる。此と似た縁起を説く歌としての
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この御酒は、わが御酒ならず、くしの神 常世にいますいはたゝす少御神の神ほき[#「神ほき」に傍線] ほきくるほし[#「ほきくるほし」に傍線]、豊ほき[#「豊ほき」に傍線] ほきもとほし[#「ほきもとほし」に傍線] まつり来《コ》し[#「し」に傍点]御酒ぞ……(記紀)
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やはり「し」には、詠歎と讃美とが、籠つてゐるやうだ。つまり、感情をわりこませてゐる訣だ。
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○つぎねふ 山代|女《メ》のこくは持ち、うちし大根 さわ/\に……(記紀)
又、うちし大根 根白の白たゞむき(記紀)
○須々許理がかみし御酒に……(記)
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此も詠歎とも言へるが、「うち大根」と言ふ風に説ける。
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○橿の原《フ》に[#「に」に傍線]よくすをつくり、横臼に醸みし[#「し」に傍線]大御酒……(記。紀、かめる……)
○をとめの床のべに[#「に」に傍線]、わが置きし[#「し」に傍線]劔の大刀……(記)
○おきつどり 鴨どく島に[#「に」に傍線
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