らうとした様に見える。だが結局、此方にはやはり、最初の姿が残つてゐるのである。
        ○
考へ方によつては、過去の「し」の起原は、一種の囃し詞の様にも見える。又、一時的には「其《シ》」のわり込みと見ても済む。だが、囃しと見るのは、其後代的気分から出るものだし、「其《シ》」と見るのも、或は却て順序を顛倒して、「し」が固定して、「其《シ》」の感覚を起す様になつたのかも知れない。要するに言うてさし支へのないのは、一種の連体法を作る語尾だと言ふ事である。さうして其「し」は、同時に形容詞語尾をなしてゐる「し」とおなじものだ、と言ふことの推定に近づいて来る。
「やすみし+の」「あそばし+の」「いよしたゝし+の」が、「やすみしゝ」「あそばしゝ」「いよしたゝしゝ」で現されたものとすれば、万葉巻二日並知皇子尊舎人等歌の三つまである御立為之[#「御立為之」に傍線]の句は、「みたゝしの」と訓まずとも、「みたゝしゝ」と言ふ旧訓のまゝでもよいかも知れぬ。意義は同じ、古風だからだ。又、古事記の古訓に、無制限と見えるまで、宣長翁の訓まれた動詞に敬語「み」をつける癖(三矢先生改訓)「み……し」とある部分だけは、見免すことが出来ると言へるかも知れない。又、古風だけに、「やすみしゝ」以下の例と同じく訓むのが本道らしくも思はれる。但其場合も、決して翁の考へに含まれてゐるらしい「み佩かしゝ」などの「し」を過去とゝることは、何処までもいけない。実感は実感でも、近代の文法意識と古代のものとは違はなければならぬ筈だ。「し」から過去を感じ馴れてゐる我々が、「やすみしゝ」「あそばしゝ」「いよしたゝしゝ」を過去と感じ、又「栽ゑしはじかみ」「まきしあだね」に、時間的に所置しようとする心が動いても、其は古代の文法からは、没交渉なものと謂はねばならぬ。さう言ふ例を今一つ、「名細之」によつて説いて見よう。この例が若しも的確でなくとも、さうした類型は、外に沢山ある訣なのだ、と言ふことを言ひ添へる。
我々は、「くはし」と言ふ讃美の語を知つてゐるから、古人が「くはし」を細し(美)と感じた事に不審は抱かなくなつてゐるが、なほ吟味すると、偶「くはし」と言ふ語のあつた為に、其をすべて「美」の範疇にいれて考へたとも言へるではないか。
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……朝日なす目細毛、夕日なす浦細毛。春山のしなひさかえて、秋山の色なつか
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