だ。bdに於いては、殊にさうした様子がよく見える。ceになると、完全に離れきつて了うて、唯はしきやし[#「はしきやし」に傍線]と言ふ語の習慣が、気分として用ゐられてゐる風に見える。
結局かう言ふことの起るのは、言語に対する人間の合理性によるのである。古い文法が固定し、次第に正確な理会を失うて来る。而も其形式を襲うて行くことは止めない。さうすると、唯、確かなものは、人々が受ける時代的情調である。これを分解しながら、新しい文法意識を組み立てゝ行く。さうすると、第一義とは非常に離れたものになる筈である。殊に、文学作品の上の用語として使はれた場合は、言語選択機能が働くだけに、一層甚しい。はしけやし(はしけよし・はしきやし・はしきよし)の場合などは、最遅くまで、其俤を留めた一例で、一方多くの「やし」は、殆決定的に、「よし」に変化して、単なる地名を想起せしめる、所謂枕詞の格の助辞の様な形に、統一せられて来てゐたのに、此だけは尚、ある理由の下に残つてゐて、古い気分を保留し乍ら用ゐられてゐた。我々はこゝに熟語を作る語の語尾が、其接すべき語から自由になつて、而も其文章なり句なりに、勢力を及し、表現性能を拡げて来る径路を明らかに認めることが出来たのだ。其が同時に、用言式に言へば、連体性のものを、終止形風に独立せしめることになつたのである。
○
「はしきやし」は、かうした一類の中、最特殊な用語例を示したものであるが、尚先にあげた、「あなにやし」「よしゑやし」を見ると、似た処を見出す。「よしゑやし」の「よしゑ」は、「よし」と「ゑ」とが分割出来るものに相違ない。形容詞・動詞の語尾につく所謂感動の語尾の「ゑ」である。今日の理会を以てすれば、「よ」と音韵の上で通じるものと見ることが出来る。だから、或は「よしゑやし」の場合、同じ価値を持つ「ゑ」と「や」とが、重畳せられたものではあるまいか。
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世の中は、古飛斯宜志恵夜《コヒシケシヱヤ》。かくしあらば、梅の花にもならましものを(万葉巻五)
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この第二句を「恋しけ しゑや」「恋ひ繁しゑ や」「恋しけし ゑや」何れにとる事も出来る。だが、何れにしても、ゑ[#「ゑ」に傍点]・や[#「や」に傍点]の結合状態は、暗示せられてゐる。而も、更に見られるのは、文法の固定作用から、「しゑや」と言ふ一つの形式
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