行われる事が多いのです。
 ちょうど、鬼打ち豆を撒いて居る頃、表の方を、「厄払いましょう厄払いましょう」と言いながら通る者があることも知っているでしょう。これは「厄払い」と言うものです。そうして、呼びかける家があると、その表口に立って、その一家が、今夜から将来《サキ》幸福になる唱え言を唱えて、お礼の銭を貰っては、又先へ出掛けます。
 春になる前夜の、賑やかで、そうして何処かにしん[#「しん」に傍点]と静まった様子を想像して御覧なさい。暦を見ると、立春と言う日が、載ってありましょう。今年は、其が二月五日になります。冬が過ぎて春の来るのを迎えるについて、出来るだけ我々の生活にとってよくないものを却けて置いて、輝かしい幸福をとり入れようとするのです。昔から春と新しい年とが、同時に来るものと言う考えが、習慣の様に人々の頭にこびりついて居るので、立春が新しい春その前夜を意味する節分は、旧年の最後の夜という風に思われて居ました。だから、節分の事を「年越し」という地方も多いのです。年越しは、大晦日と同じ意味に用いる語です。
 九鬼家《クキケ》と言う古い豪族の家では、節分の夜、不思議な事を行われると言
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