くの民族が出て来たもので、穴師山の山人も其一つなのである。即、土地の神々が、祭りに参与すると言ふ考へが、かうしたしきたり[#「しきたり」に傍点]を産んだのである。彼等は、彼等の神の代表者として来り加はり、神と精霊と問答をし、結局、精霊が負けると言ふ行事をすることになつて居たのだ。
此形は、あまんじやく[#「あまんじやく」に傍線]が何でも人に反対すると言ふ事に残つてゐる。あまんじやく[#「あまんじやく」に傍線]は即、土地の精霊で、日本紀には、天《アマ》[#(ノ)]探女《サグメ》として其話があり、古事記や万葉集にも見える。やはり、何にでも邪魔を入れる、といふ名まへであらう。神々が土地を開拓しようとする時、邪魔をするのは、何時も天[#(ノ)]探女である。即、土地の精霊なのである。此天[#(ノ)]探女は、実に日本芸術の発足の源をなしてゐるものである。其為事は、
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一 ものまね→芸能(舞踊)
一 人に反対すること→狂言(おどけ)
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即、日本の芸術、尠くとも演芸の発生を為すものである。狂言は、江戸に入つて初めて勢力が出た。ものまね[#「ものまね」に傍線]とは、ちようど反対の立場にある。
猿楽ではをかし[#「をかし」に傍線]といひ、延年舞ではもどき[#「もどき」に傍線]と称して、所謂もどき開口[#「もどき開口」に傍線]の儀式をする者がある。もどき[#「もどき」に傍線]が、殊に有力な働きをするのは田楽で、随つて寺院の舞踊に這入つてゐる。ひよつとこ[#「ひよつとこ」に傍線]は、その最近くまで残つた形である。もどき[#「もどき」に傍線]は即「もどく」意で、反対する事を現す。日本の芸術では、歌の掛け合ひから既にもどき[#「もどき」に傍線]である。神と精霊との問答が、歌垣となつたのである。源に溯ると、あらゆる方面にもどき[#「もどき」に傍線]が現れてゐる。
能楽の面に大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《オホベシミ》と言ふのがあるが、※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《ベシミ》は「へしむ」といふ動詞から出た名詞で、口を拗り曲げてゐる様である。神が土地の精霊と問答する時、精霊は容易に口を開かない。尤、物を言はない時代を越すと、口を開くやうにもなつたが、返事をせないか、或は反対ばかりするかであつて、此二つの方面が、大
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