時としては、馬頭だけを離しても、又女体の方だけを離しても、おひら[#「おひら」に傍線]様と考へる事が出来たのである。図――博物館所蔵のもの――のおひら[#「おひら」に傍線]様の如きは、蚕神である馬頭がなくなつて、殆普通の立ちびな[#「びな」に傍線]の形に近づいて居る。これと、図の三河びな[#「びな」に傍線]・薩摩びな[#「びな」に傍線]をくらべて見ると、形に於ては、非常に変化がある様だが、後者は、けづりかけ[#「けづりかけ」に傍線]に紙或はきれ[#「きれ」に傍線]を以て掩うたものである事が、明らかであると同時に、前者との間にも、形式上通じた所のあるのが見える。此から考へると、此等のものは毎年、年中行事として、一度棄てたものに相違ない。さうして其が、毎年捨てられる代りに、新らしい布帛を掩ふ事によつて、元に戻つた事を示す形のおひら[#「おひら」に傍線]様が、出来たのではあるまいか。かうして、棄てられるおひら[#「おひら」に傍線]様以外に、神明巫女の手によつて、常に保存せられる強力なおひら[#「おひら」に傍線]様が、専らおひら[#「おひら」に傍線]様として信ぜられる様になつたと考へて見る事が出来る。このおひら[#「おひら」に傍線]様は、其巫女の信仰形式の変るに従つて、姿をあらためてくる事もあつたに相違ない。譬へば、熊野の巫女が、仏教式に傾いた場合には、遊ばすべき人形《ヒトガタ》の代りに、仏像を以てする様になつた事もあつた、と考へてよさゝうだ。図――武蔵国西多摩郡霞村字今井吉田兼吉氏所蔵のもの――に見えてゐるおしら[#「おしら」に傍線]様の如きは、馬と女体とを備へた仏像であるが故に、おひら[#「おひら」に傍線]様の要素を備へたものと見て、或部分の巫女の間に、信仰の行はれた事があつたのであらう。
[#「武蔵西多摩のおひら様 撮影・村上静文氏」のキャプション付きの写真(fig18396_01.png)入る]
[#「おひら様(帝室博物館蔵) 小田内通久氏写生」のキャプション付きの図(fig18396_02.png)入る]
[#「薩摩雛(帝室博物館蔵)」のキャプション付きの写真(fig18396_03.png)入る]
[#「三河雛(帝室博物館蔵)」のキャプション付きの写真(fig18396_04.png)入る]
私は、ひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家と称するものは、或家のひな[#「
前へ 次へ
全22ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング