敷内に桜を植ゑて、其を家桜と言つた。屋敷内に植ゑる木は、特別な意味があるのである。桜の木も元は、屋敷内に入れなかつた。其は、山人の所有物だからと言ふ意味である。だから、昔の桜は、山の桜のみであつた。遠くから桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占つた。花が早く散つたら大変である。
考へて見ると、奈良朝の歌は、桜の花を賞めて居ない。鑑賞用ではなく、寧、実用的のもの、即、占ひの為に植ゑたのであつた。万葉集を見ると、はいから[#「はいから」に傍線]連衆は梅の花を賞めてゐるが、桜の花は賞めて居ない。昔は、花は鑑賞用のものではなく、占ひの為のものであつたのだ。奈良朝時代に、花を鑑賞する態度は、支那の詩文から教へられたのである。
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打ち靡《ナビ》き春さり来《ク》らし。山の際《マ》の遠き木末《コヌレ》の咲き行く 見れば(万葉巻十)
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の如き歌もあるが、此は花を讃めた歌ではない。名高い藤原広嗣の歌
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此花の一弁《ヒトヨ》の中《ウチ》に、百種《モヽクサ》の言《コト》ぞ籠れる。おほろかにすな(万葉巻八)
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は女に与へた
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