を追ひやるのである。初春に杖をもつて、まづ地面を打つて置き、いよ/\田の行事にかゝる四月になると、復此行事を繰り返す。即、も一度田の行事をするのである。此為、卯月と言ふのだとするのが、私の仮説である。
卯月に咲く山の花なる卯の花は、空木《ウツギ》の花だと言ふ説もあるが、たま/\卯の花を空木の花であると言ふのには、原因があるのである。卯杖《ウヅヱ》・卯槌《ウヅチ》を空木で作り、そして、空木は鬼やらひ[#「鬼やらひ」に傍線]に用ゐる木なのである。即、卯の花が占ひの象徴になつて居ると思ふ。卯の花が早く腐ると困る処から、卯の花くたし[#「卯の花くたし」に傍線]と言ふ名が、雨にまで附けられたのである。卯の花の咲く時分に、長雨が降る。卯の花を腐らせる雨に、気を病んで居る人々が作つた詞である。
これからは、幾らでも、象徴の花が出て来る。卯月に入ると、女達の物忌みが始まる。此事は、柳田国男先生が、最初に注意された。私が、躑躅の花を竿の先につけて外に出す習慣の行はれて居る四月八日の、てんたうばな[#「てんたうばな」に傍線](天道花)の由来を書いた時に、柳田先生は、此時に女の山籠りの習慣があつて、此女たちが山から帰つて来る際に、躑躅の花を持つて来るが、此と関係がある事を指摘された。其為に、私の考へは変つて来たのであつた。
四
女の物忌みとして、田を植ゑる五月処女《サウトメ》を選定する行事は、卯月の中頃のある一日に「山籠り」として行はれる。さうして、山から下りる時には、躑躅の花をかざして来る。山籠りは、処女が一日山に籠つて、ある資格を得て来るのが本義である。けれども、後には、此が忘れられて、山に行き、野に行きして、一日籠つて来るのは、たゞの山遊び・野遊びになつてしまうた。「山行き」といふ言葉は、山籠りのなごりである。かうして山籠りは、一種の春の行楽になつて了うたが、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。即、皐月の田植ゑ前に、五月処女《サウトメ》を定める為の山籠りをしたのである。
此山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭《カザ》して来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴《シルシ》である。そして此からまた厳重な物忌みの生活が始まるのである。此かざし[#「かざし」に傍点]の花は、家の神棚に供へる事もあり、田に立てる事にもなつた。此が一種の成り物の前兆になるのである。
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