童の話に、門に出して干してあつた網の目を、勘定してゐるものがあるので、網に伏せて見ると、があたろ[#「があたろ」に傍線]であつたと言ふ。何の為に目をよんだかは、説明する人はなかつたが、妖怪には、目の多いものを恐れる習性があるといふ事は、全国的に考へてゐるから、此をよみ尽せば、もう何でもなく、其家に入ることが出来る、と考へたものと見たのだらう。物よみの妖怪に入れてよいものとしては、歌・経文をくり返し読んだ、髑髏の話などもある。
物数への怪が、こゝ迄進んで来ると、皿数への唄と、相互作用で変化して行く。皿数へに最適したものは、河童である。此に結びつけて、井戸の中から、皿を数へる声が聞えるなどゝ言ひ出したのであると思ふ。いづれ、田舎に起つた怪談であらうが、段々河童離れして、若い女の切りこまれた古井の話が、到る処に拡つた。河童が、若い女に替る理由はある。水の神の贄として、早処女《サヲトメ》が田の中へ生き埋めになつた物語、及び其が形式化して「一《イチ》の早処女」を、泥田の中に深く転ばす行事がある。又、水に関聯した土木事業には、女の生贄を献つた、といふ伝へが多い。此は実は、生贄ではなかつた。水の神の嫁と言うた形で、択ばれた処女が仕へに行つた民俗を、拗れさせたのである。田や海河の生贄となつた、処女の伝説が這入りこんで来ると、切りこまれたのは、若い女。皿を数へる原因は、一枚を破るか、紛失したからだと説く。皿を破つたからして、必しも、くり返し/\皿数へをするわけもない。数とりをせねばならぬ理由は、元の河童にあつたのを、唯引きついだに留つてゐる。
平戸には又、こんな伝へもあつた。ある大きな士屋敷に、下女が居た。皿を始末させたら、一枚とり落して破つた。主人が刀を抜いて切りつけると、女は走つて海へ飛びこんだ。其姿を見れば、河童であつたといふ。此話は、皿を落すのが、女河童であつて、其から直に、若い女に転化した、ときめて了ふ事の出来ない乏しい例だが、形は単純である。子供の頭の頂を丸く剃り、芥子坊主にするのは、水の神の氏子なる事を示して、とられぬ様にするのである。同様にがつそ[#「がつそ」に傍線]或はおかつぱ[#「おかつぱ」に傍線]と言ふ垂髪も、河童の形である。此方は、頂を剃らない。皿の隠れて居る類の形と見たのであらう。
鬼事遊びの中には、子供専門の鬼を、中心にしてゐる事が多い。かくれんぼう[#「かくれんぼう」に傍線]なども、隠れん坊ではないかも知れぬ。薩・隅・日の三国に共通したかご[#「かご」に傍線]と似た形に、かぐれ[#「かぐれ」に傍線]と言ふ河童の方言がある。其以前、もつと広く行はれた時分、「かくれん坊」の語根となつたのではないか。
目隠しを言ふめなしちご[#「めなしちご」に傍線]・めなしどち[#「めなしどち」に傍線]なども、目なし子鬼の義であらう。どち[#「どち」に傍線]はみづち[#「みづち」に傍線]の系統の語であり、ちご[#「ちご」に傍線]も、河童或は河童の好物しりこだま[#「しりこだま」に傍線]を意味する、福岡辺の方言である。河童の外にも、もゝんぐわ[#「もゝんぐわ」に傍線]・がごじ[#「がごじ」に傍線]・子とろ[#「子とろ」に傍線]・めかこう[#「めかこう」に傍線]など言ふのがゐる。
六 河童の正体
世間に言ふとほり、一口に河童として、混雑を避けて来たが、所謂|河童《カハワロ》と謂うた姿の河太郎・河童の姿を、標準と見做しておいた。だが其外に、河童と言ふに不適当な姿をしたものがあるのである。
あんなに、馬の護符を出す津島神社の四方、かなり広い範囲に亘つて、河童は居ない。みづち[#「みづち」に傍線]一類の語が、用ゐられてゐる。大抵、鼈を言ふやうである。飛び離れた処々にも、この語を使ふ地方で著しい事は、みづし[#「みづし」に傍線]・みんつち[#「みんつち」に傍線]・めどち[#「めどち」に傍線]・どち[#「どち」に傍線]など言ふが、大抵水の主《ヌシ》の積りで、村人は畏がつてゐる。殆、人間の祈願など聞き分ける能力のあるものではない。近づく人をとり殺すと言ふ、河童の一性情を備へて居るばかりで、大抵その正体は、空想してゐる場合が多い。だからみづち[#「みづち」に傍線]は、必しも、一定した動物を言はない様である。みづち[#「みづち」に傍線]信仰の最高位にある、山城久世の水主(ミヅシ)神社の事を考へて見たい。元来地方々々に、自然に生じたと見るよりも、此社の信仰の、宣布せられた事を考へる方が、正しいらしい。だが今では、みづち[#「みづち」に傍線]には、祠のある物すら尠い。みづち[#「みづち」に傍線]の中にも含まれてゐる鼈の類は、又、どんがめ[#「どんがめ」に傍線]・どんがす[#「どんがす」に傍線]・がめ[#「がめ」に傍線]など謂ふ別の語で、はつきり区別して示されてゐる。
みづてんぐ[#「みづてんぐ」に傍線]・みづてん[#「みづてん」に傍線]などは、土佐に盛んに用ゐられ、又今も盛んに活躍してゐるとせられてゐる。正体は、河童と天狗との間を行く様なもので、嘴の尖つてゐる為に、かう言ふ名がある。相撲を人に強ひ、負ければ水に引きこむと言ふ。みづち[#「みづち」に傍線]よりは、稍人間に近いものである。此語、河童の多い北九州にも、曾つて行はれて水天狗の字を音読する様にもなつた。ある大家では、封国の水の神を、江戸屋敷の屋敷神としてゐたのを公開した。其後、久しくはやり神となつた。昔の誓文を固く守つて、水に由る災ひは勿論、其以外にも、信仰者には利益を下す、と言はれてゐる。
ひようすべ[#「ひようすべ」に傍線]は、九州南部にまだ行はれてゐる。此も形は、甚、漠としてゐる。河童の様でもあり、鳥の様でもある。此も、水主神と同じく、其信仰を、宣伝々播した時代があつたのである。私の観察するところでは、奈良の都よりも古く、穴師神人が、幾群ともなく流離宣教した。その大和穴師兵主神の末である。播州・江州に大きな足だまりを持つて居た。北は奥州から、西は九国の果てまで、殆、日本全国に亘つたらしい布教の痕は、後世ひどく退転して、わけもわからぬ物になつて了うたのである。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「中央公論 第四十四巻第九号」
1929(昭和4)年9月
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年九月「中央公論」第四十四巻第九号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※小見出しの3字下げ(「三 河童の馬曳き」)は、5字下げにそろえました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年4月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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