宮に通ずる水が、なぜ塩水でないのか、説いたものはない。一年の中ある時の外、使はなかつた神秘の水のあつた事を、別の機会に書きたいと思うてゐる。神聖な淡水《まみづ》が、海から地下を抜けて、信仰行事の日の為に、湧き出るのだと思うてゐたらしいのである。海からなぜ塩気のない水が来るか、此問題は、茲には説いて居られぬ程、長い説明がいる。神聖な地域の湖・池に通じるとする信仰も、実は、此海から来る地下水の考への変形である。
此話には、河童とは言うて居ぬ。が、井・泉から、海に行き来したものゝあることは知れる。河童が、とんでもない山野・都邑の清水や井戸から、顔や姿を表した話は、どなたも、一つや二つ聞いた気がせられるはずだと信じる。
男であれ女であれ、人の姿を仮りて、人間と通婚する伝説にも亦、其本体を水界の物としたのが多い。前の殿川屋敷のも、此側の型を河童の中へ織りこんだものらしい。
[#後ろ向きの河童の図(fig18395_02.png)入る]
馬の足がた[#「足がた」に傍点]ゞけの溜り水があれば、河童が住んでゐると言ふ分布の広い諺も、地下水の信仰から、水の精霊は、何処へでも通ふものと考へたのである。厠の下から手を出して、いたづらをしたものは、大抵、狸になつて了うてゐるが、猿や猫とする例も少くない。だが、厠の様式にも、歴史があつた。其変化に伴うて、適当な動物が、入り替つて来た。だが、考へると、やはり水溜りだつたので、河童の通ひ路は通《トホ》つてゐたのである。毛だらけの手が出て、臀べたを撫でたゞけでは、よく考へると、何の為にしたのか知れない。示威運動と見るのが、普通であらうが、人を嫌ふ廃屋の妖怪には、少しとてつ[#「とてつ」に傍点]もない動作である。何も仰山に、厠が語義どほりの川屋で、股の間から、川水の見えた古代に遡らずとも、説くことが出来よう。だが若し、さう言ふ事が許されるなら、丹塗りの矢に化成して、処女の川屋の下に流れ寄つて、其恥ぢ処に射当つたと言ふ、第一代の国母誕生の由来も、考へ直さねばならぬ。厠の下から人をかまふ[#「かまふ」に傍点]目的が、単にしりこ[#「しりこ」に傍点]を抜くばかりでなかつたのかも知れない。
[#四つん這いの河童の図(fig18395_03.png)入る]
雪隠の下の河童の覘《ねら》ふものは、しりこだま[#「しりこだま」に傍点]であつた。何月何日、水で死ぬと予
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