古典としての短歌は、恋愛気分が約束として含まれていなければならなかったのである。
こう言う本質を持った短歌は、叙事詩としては、極めて不都合な条件を具えて居る訣《わけ》だ。抒情に帰せなければならない短歌を、叙事詩に展開さしょうと試みて、私は非常に醜い作物を作り作りした。そうしてとどのつまり、短歌の宿命に思い臻《いた》った。私は自分のあきらめを以て、人にも強いるのではない。石川啄木の改革も叙事の側に進んだのは、悉《ことごと》く失敗しているのである。唯啄木のことは、自然主義の唱えた「平凡」に注意を蒐《あつ》めた点にある。彼は平凡として見逃され勝ちの心の微動を捉えて、抒情詩の上に一領域を拓《ひら》いたのであった。併し其も窮極境になれば、万葉人にも、平安歌人にも既に一致するものがあったのである。唯、新様式の生活をとり入れたものに、稍《やや》新鮮味が見えるばかりだ。そうして、全体としての気分に統一が失われている。此才人も、短歌の本質を出ることは出来なかったのである。
古典なるが故に、稍変造せねば、新時代の生活はとり容れ難く、宿命的に纏綿《てんめん》している抒情の匂いの為に、叙事詩となることが出来な
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