」に傍線]とも言ひます。此は、をかしがらせる為の役を意味するのではなく、もどき[#「もどき」に傍線]同様、犯し[#「犯し」に傍線]であつたものと考へられます。こゝに、猿楽が「言」と「能」との二つに岐れて行く理由があるのです。能は脇方としての立ち場から発達したもの、狂言は言ひ立て・説明の側から出た名称と見られませう。
かうして見ますと、狂言方から出る三番叟が、実は翁のもどき[#「翁のもどき」に傍線]役である事が知れませう。さうして、其が猿楽能の方では、舞が主になつて、言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]の方が疎かになつて行つたものと見る事が出来ます。
かう申せば、翁は実に神聖な役の様に見えますし、して方[#「して方」に傍線]元来の役目の様に見えますが、私はそこに問題を持つてゐるのです。一体、白式・黒式両様の尉面では、私に言はせると、黒式が古くて、白式は其神聖観の加はつて来た時代の純化だ、とするのです。
役から見ると「翁のもどき」として、三番叟が出来たのですが、面から言ふと、逆になります。白式の翁も元は、黒尉を被つて出たものであつたのを、採桑老風の面で表さねばならぬ程、聖化したのです。さうして、其もどき役[#「もどき役」に傍線]の方に黒面を残したものと見られるのです。
此黒面は、私は山人のしるし[#「しるし」に傍線]だと思ふのであります。譬へば、踏歌節会の高巾子《カウコンジ》のことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]一行の顔は、正しくはのっぺらぽう[#「のっぺらぽう」に傍点]の物だつたらしいのです。即、安摩《アマ》・蘇利古《ソリコ》に近いものだつたのです。白式尉が採桑老らしくなると共に、山人面も次第に変化して、其を唯黒くしたゞけが違ふ尉面と言ふやうになつたのでありませう。古代の山人の顔は、今から知るよしもありませんが、黒といふ点では一致して居ても、黒式尉のやうな、顔面筋まで表した細やかな彫刻ではなかつたはずです。
併し、ちよつと申して置きました様に、黒といふ語が、我が国では、一種異様な舞踊の保持団体と関係のありさうなのは事実です。黒山舞の昔から、黒川能・黒倉田楽・黒平三番叟など皆山中の芸能村なのです。此等のくろ[#「くろ」に傍線]は顔面の黒色を意味するものか、其とも、技芸の正雑を別つ上の用語か、今の処断言はいたしかねるのですが、何にしても「山人舞」と深い関係は考へられようと思ひます。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「民俗芸術 第一巻第一・三号」
   1928(昭和3年)年1月・3月
※底本の題名の下に書かれている「昭和三年一月・三月「民俗芸術」第一巻第一・三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2004年1月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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