きり[#「しようじっきり」に傍線]と言ふ黒尉は、其上更に、もどき[#「もどき」に傍線]と言ふ役と其からさいほう[#「さいほう」に傍線]と称する役方とを派生してゐます。此は、多分才の男系統のものなる事を意味する役名なのでせうが、もどき[#「もどき」に傍線]の上に、更に、さいほう[#「さいほう」に傍線]を重ねてゐるなどは、どこまでもどき[#「もどき」に傍線]が重なるのか知れぬ程です。畢竟、古代の演芸には、一つの役毎に、一つ宛のもどき役[#「もどき役」に傍線]を伴ふ習慣があつたからなのです。
つい[#「つい」に傍点]此頃も、旧正月の観音の御縁日に、遠州奥山村(今は水窪町)の西浦所能《ニシウレシヨナウ》の田楽祭りを見学しました。まづ、近年私の見聞しました田楽の中では、断篇化はしてゐますが、演芸種目が田楽として古風を、最完全に近く、伝へてゐるものなることを知りました。
一九 もどき猿楽狂言
西浦《ニシウレ》田楽のとりわけ暗示に富んだ点は、他の地方の田楽・花祭り・神楽などよりも、もつともどき[#「もどき」に傍線]の豊富な点でありました。外々のは、もどき[#「もどき」に傍線]と言ふ名をすら忘れて、幾つかの重なりを行うてゐますが、こゝのは、勿論さうしたものもありますが、其上に、重要なものには、番毎にもどきの手[#「もどきの手」に傍線]といふのが、くり返されてゐることです。さうして更に、注意すべき事は、手とあることです。舞ひぶり――もつと適切に申しますと、踏みしづめのふり[#「踏みしづめのふり」に傍線]なのです――を主とするものなることが、察せられます。
大抵、まじめな一番がすむと、装束や持ち物も、稍、壊れた風で出て来て、前の舞を極めて早間にくり返し、世話式とでも謂つた風に舞ひ和らげ、おどけぶりを変へて、勿論、時間も早くきりあげて、引き込むのです。
此で考へると、もどき方[#「もどき方」に傍線]は大体、通訳風の役まはりにあるものと見てよさゝうです。其中から分化して、詞章の通俗的飜訳をするものに、猿楽旧来の用語を転用する様になつて行つたのではありますまいか。して見れば、言ひ立てを主とする翁のもどき[#「翁のもどき」に傍線]なる三番叟を、猿楽といふのも、理由のあつた事です。
此猿楽を専門とした猿楽能では、其役を脇方と分立させて、わかり易く狂言と称へてゐ、又をかし[#「をかし
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