陽師流の神道家の間に行はれてゐました。続日本紀以降の天子の宣命と、外形は違つてゐて、本質を一つにするものでした。私の考へでは、此宮廷の宣命が、古代ののりと[#「のりと」に傍線]の原形を正しく伝へてゐるものなのです。神の宣命なるのりと[#「のりと」に傍線]を人神の天子ののりと[#「のりと」に傍線]なる宣命としたゞけの事です。常世神ののりと[#「のりと」に傍線]におきましては、神自身及び精霊の来歴・種姓を明らかにして、相互の過去の誓約を新たに想起せしめる事が、主になつてゐました。此精霊服従の誓約の本縁を言ふ物語が、呪詞でもあり、叙事詩でもあつた姿の、最古ののりと[#「のりと」に傍線]なのです。其が岐れて、呪詞の方は、神主ののりと[#「のりと」に傍線]と固定し、叙事詩の側は、語部《カタリベ》の物語となつて行つたのです。だから、呪詞を宣する神の姿をとる者の唱へる文言が、語りをも宣命をも備へてゐる理由はわかります。「家・村ほめ」の方は、呪詞が更に、鎮護詞《イハヒゴト》化した時代に発達したものなのです。広く言へば、ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]と称すべきもので、多くは山人発生以後の職分です。
翁の語り[#「翁の語り」に傍線]は次第に、教訓や諷諭に傾いて来ましたが、尚、語りの中にすら、宣命式の効果は含まれてゐたのです。家・村ほめの形にも、勿論、土地鎮静の義あることは言ふまでもありません。
一六 松ばやし
高野博士は、昔から鏡板の松を以て、奈良の御《オン》祭の中心になる――寧、田楽の中門口の如く、出発点として重要な――一《イチ》の松をうつしたものだ、とせられてゐました。当時、微かながら「標の山」の考へを出してゐた私の意見と根本に於て、暗合してゐましたので、一も二もなく賛成を感じてゐました。
処が、近頃の私は、もつと細かく考へて見る必要を感じ出して居ります。其は、鏡板の松が松ばやしの松と一つ物だといふ事です。謂はゞ一の松の更に分裂した形と見るのであります。松をはやす[#「はやす」に傍線]といふ事が、赤松氏・松平氏を囃す[#「囃す」に傍点]などゝ言ふ合理解を伴ふやうになつたのは、大和猿楽の擁護者が固定しましてからです。初春の為に、山の松の木の枝がおろされて来る事は、今もある事で、松迎へといふ行事は、いづれの山間でも、年の暮れの敬虔な慣例として守られて居ます。おろす[#「
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