身一つにとつて、はれがましい程の光栄に、自らみすぼらしさの顧みられるのは、春の鬼[#「春の鬼」に傍線]に関する愚かな仮説が、先生によつて、見かはすばかり立派に育てあげられてゐた事であります。此、真に、世の師弟の道を説く者に、絶好の例話として提供せらるべき事実であります。実の処、をこがましくも、春の鬼・常世《トコヨ》のまれびと[#「まれびと」に傍線]・ことぶれの神[#「ことぶれの神」に傍線]を説いてゐる私の考へも、曾て公にせられた先生の理論から、ひき出して来たものでありました。南島紀行の「海南小記」(東京朝日発表、後に大岡山書店から単行)の中に、つゝましやかに、言を幽かにして書きこんで置かれた八重山の神々の話が、其であります。学説と言ふものは、実にかくの如く相交錯するものでありまして、私が山崎さんの研究の一部たりとも、冒認する事を気にやんでゐる衷情も、お察しがつきませう。
今から四年前(大正十三年)の初春でした。正月の東京朝日新聞が幾日か引き続いて、諸国正月行事の投書を発表した事がありました。其中に、
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なもみ剥《ハ》げたか。はげたかよ
あづき煮えたか。にえたかよ
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こんな文言を唱へて家々に躍り込んで来る、東北の春のまれびと[#「春のまれびと」に傍線]に関する報告がまじつてゐました。私は驚きました。先生の論理を馬糞紙のめがふおん[#「めがふおん」に傍線]にかけた様な、私の沖縄のまれびと神[#「まれびと神」に傍線]の仮説に、ぴつたりしてゐるではありませんか。雪に埋れた東北の村々には、まだ、こんな姿の春のまれびと[#「春のまれびと」に傍線]が残つてゐるのだ。年神にも福神にも、乃至は鬼にさへなりきらずにゐる、畏と敬と両方面から仰がれてゐる異形身の霊物《モノ》があつたのだ。こんな事を痛感しました。私はやがて、其なもみ[#「なもみ」に傍線]の有無を問うて来る妖怪の為事が、古い日本の村々にも行はれてゐた、微かな証拠に思ひ到りました。かせ[#「かせ」に傍線]・ものもらひ[#「ものもらひ」に傍線]に関する語原と信仰とが其であります。此事は、其後、多分、二度目の洋行から戻られたばかりの柳田先生に申しあげたはずであります。
「雪国の春」を拝見すると、殆ど春のまれびと[#「春のまれびと」に傍線]及び一人称発想の文学の発生と言ふ二つに、焦点を据ゑ
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