事のあるのは、不思議ではない。猿楽家の「松ばやし」も亦、暮の中に行はれるのが、古風であつた様ですが、此から翁が出たとは言へますまい。唯、「湛《タヽ》へ木」の行事を行ふだけです。一つ松の行事は、翁の一節を存するもので、其に続く、踏歌式を含んだことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]が、消えて了うたのです。謂はゞ、一種の五節千歳が、踏歌から出たのは、武家時代の好みだつたのでせう。
雅楽にも「若」を舞はせる為に、本手の舞を童舞に変化させてゐるのがあります。猿楽能の翁は、鎮魂の為の山人の来臨で、三人の尉は、一種の群行を意味するものでせう。此事は更に説きます。
翁の文句の「ところ千代まで」と言ふのは、野老にかけた、村・国の土地鎮めの語で、かうした文句の少いのは、替へ文句が多くなつた為です。さうして、春祭りの田打ちの詞らしい、生み殖し[#「生み殖し」に傍線]の呪文が這入つて居るのは、翁が初春を主として、暮の鎮魂式から遠のいた為でせう。だが、春田打ちは、鎮魂と共に一続きの行事ですから、山人としての猿楽の翁も、初春に傾く理由はあるのです。仮に、猿楽の翁の原形の模型を作つて見ませう。
翁が出て、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]を奏する。此は家の主長を寿するのです。其後に、反閇《ヘンバイ》の千歳《センザイ》が出て、詠じながら踏み踊る。殿舎を鎮めるのです。其次に、黒尉《クロジヨウ》の三番叟が出て、翁の呪詞や、千歳の所作に対して、滑稽を交へながら、通訳式の動作をする。其が村の生業の祝福にもなる。此くり返しが、二|尉《ジヨウ》の意を平明化すると共に、ふりごと[#「ふりごと」に傍線]分子を増して来ます。さうして、わりに難解な処を徹底させ、儀式的な処を平凡化して、村落生活にも関係を深くするのでせう。猿楽能の座の村が、大和では、多く岡或は山に拠つてゐました。殊に外山《トビ》の如きは、山人を思はせる地勢です。
松ばやし[#「松ばやし」に傍線]の如きも、春の門松――元は歳神迎への招《ヲ》ぎ代《シロ》の木であつた――を伐り放して来る行事でした。はやし[#「はやし」に傍線]は、伐ると言ふ語に縁起を祝ふので、やはり、山人の山づと贈りに近い行事です。かうした記憶が、寺の奴隷の、地主神・夜叉神等の子孫とせられた風に習うて、奈良西部の大寺のことほぎ役[#「ことほぎ役」に傍線]や、群行の異風行列を奉仕するやうになつたものと
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