・土蜘蛛などゝ区別せられた様です。海人部の民が、所謂あまのさへづり[#「あまのさへづり」に傍線]をする異人種の様に考へられた程ではありません。海部の民は、呪法・呪詞に馴れて居ました。其が諸国の卜部の起原です。
海人部の民の中の、小・中宗家など言ふべき家の中からも、宮廷の官司の馳使丁が出ました。此が海人《アマ》の馳使丁《ハセヅカヒ》です。其内、神祇官に仕へた者が、特にあまはせづかひ[#「あまはせづかひ」に傍線]と言はれたらしいのです。更に、此中から、宮廷の語部として、海語部《アマガタリベ》と言ふ者が出来たと見られます。天語部は鎮護詞を唱へると共に、其中の真言とも言ふべきうた[#「うた」に傍線]を、おもに謡ふ様になりました。其が「天語歌」のあるわけで、其とおなじ性質で、寿詞や鎮護詞式でないものが、神語《カミガタリ》といはれたらしいのです。神語歌《カミガタリウタ》の末に、天語の常用文句らしい「あまはせつかひ、ことの語《カタ》り詞也《コトモ》、此《コヲ》ば」と言ふ、固定した形のついてゐるわけであります。
海語部が、諸国の海人の中にも纏はつて来ました。一方、卜占を主とする海人の卜部が、又諸国に還り住んで、卜部の部曲が拡がります。宮廷の海語部は、後には、卜部の陰に隠れて顕れなくなり、卜部の名で海語部の行うた鎮護《イハヒ》のことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]を言ひ立てる様になりました。此卜部が、陰陽寮にも勢力を及ぼしました。踏歌の節の夜の異装行列は、元、卜部の海語部としての部分を行うたものらしく、群行神の形であつて、作法は、山人の影響を受けたものです。服従の誠意を示しに、主上及び宮殿をいはふ言ひ立てに来るのであります。

     六 山づと

此|高巾子《カウコンジ》の異風行列は、山人でもなかつた。万葉集には、元正の行幸が添上郡の「山村」にあつた事と歌とを記してゐる。
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あしびきの山に行きけむ山人の 心も知らず。やまびとや、誰(舎人親王――万葉巻二十)
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仙人を訓じて、やまびと[#「やまびと」に傍線]とした時代に、山の神人の村なる「山村」の住民が、やはり、やまびと[#「やまびと」に傍線]であつた。此歌は、神仙なるやまびと[#「やまびと」に傍線]の身で、やまびと[#「やまびと」に傍線]に逢ひに行かれたと言ふ。其やまびと[#「やまびと」に
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